なんでもできるかのような生成AIの時代になると、少なくともコンテンツ作りに関しては人間の出番が減る一方に感じられる。
そこでChatGPTに質問すると、『AIが得意なのは現在のところ既存のデータに基くコンテンツ作成であって、完全に新しい概念やアイデアを生むことは得意ではなく、それらはまだまだ人間の方が得意なはず』と答えた。
生成AI登場前、コンテンツは人間にしか作れない時代を考えると、手書きの時代だとごく一部の人がコンテンツを作っていた、それは人間にしか出来ないのではなく、ごく一部の人にしか出来ないとされていたし、世間の多くはそんな考えを受け入れていた。
それがPCの普及とインターネットの充実で一般人にもその気さえあれば誰でもコンテンツを作って発表することができるようになった。
当初はやっぱり一部の人のものと思われていたが、少なくともプロが独占する領域ではなくなった。
さらにスマホとSNSが普及すると、誰でもコンテンツを発信するのが当たり前になった、確実にそれ以前には成立していたプロの世界が脅かされるようになった。
この辺になると、コンテンツの質を云々してもしょうがないようになってきた、納得はしてなくても逆らってもしょうがない時代になった、しかし良くも悪くもまだ人間が主役だった。
フェイクなどと呼ばれてもそれも人による手作りだったITを駆使したとしても。
そこに生成AIが登場したからといって今更大きく変わるものではないはず。
ただ生成AIの時代になることで、人間の側に要求される能力の質は確実に変化するだろう。
人間関係や人脈がものを言う権力構造にヒビを入れることが可能になるはず。
生きることが戦うことならば、ここでいう戦いとは戦争のような理不尽ではなく、競い合いみたいなものだとすると、勝利の方程式を変えるような影響力が生成AIの使い方次第で可能になりそう。
人間にとっては、勉強ができるとか偏差値が高いという尺度に馴染まない新たな能力の出番なのだ。