お題を頂戴したような気になる記事があった。
「鳥肌」はなぜ存在するのか。寒さから身を守る?意味がない?“鳥肌研究”の解説で感服の鳥肌がたった
~~~以下引用~~~
確かに、鳥肌そのものはかつての機能を失った名残としての反応なのかもしれません。しかし、未だに恐怖や感動で鳥肌が立つということは、こうした強い感情が生じるメカニズムと鳥肌との間の関係が、今でも現役バリバリで私たちの中で機能しているということです。
そうだとすると、鳥肌の仕組みを調べることは、感動のような私たちにとって大切な心の働きを解明するための、言わば「覗き窓」になってくれるのかもしれません。そうした期待を持って研究を続けていています。
~~~引用ここまで~~~
以下は個人的な思いで証拠やエビデンスはないが、確信は強い。
鳥肌の正体やその役目を考えることは、『心』って何?、に通じる話だと思っている。
単純に言い切ると人間が備えてるアンテナやセンサーがその人自身に最適化された結果の出力の一つだ。
主な役割としては、寒さの感知に代表される忍び寄る危険や危機の察知であり、良い意味でも悪い意味でも隠し切れない感動が押し寄せてるということの察知のため。
悪い意味での感動とは憎悪や嫌悪で、鳥肌が立つほどでなければ自分の憎悪や嫌悪をオブラートに包んで大人な振る舞いができる余地があるが、鳥肌が立つほどだと無理にオブラートに包んでも自分自身がかえって闇堕ちするだけになる、そんな境界を鳥肌は教えているのだ。
良い意味での感動を青臭く感じて、恥ずかしさで隠そうとする場合があるが、これも自分自身がどんな種類の人間かを示す重要なポイントになるので、『わたしはこんな人間だ』ということを周囲に知らしめるためには有効だ。
そんな振る舞いをした結果がマイナスに作用する場合はそんな人とは関わるなということを示すことになる。
しかし、現代人は鳥肌に正直に反応できない人の方が多いかもしれない。
おそらく自分の心に嘘をつくような場合にも鳥肌が立つ場合があるはず、それは嘘も方便の領域を超えるような場合だ。
寒さであれば長時間耐えることは無理だが、心のサインとしての鳥肌に耐えるとやがて別人に変化する。
その変化が好ましければ良いが、そうでなければ持っていた良さを失うことになるし、関わる人間関係も変化してるはず。
根性論では鳥肌なんかに負けるなとなるが、そんな根性論はもはや流行らない。
『鳥肌に負けるな』は負けたのだ。
鳥肌には従った方が賢明だ。