人間は絶対性より相対性を重視すると言われる、あくまでも一般論だが。
テストで100点を目指すよりも、点数よりも偏差値が高いことの方を重視するように。
つまり、他人やライバルと思ってる人との位置関係や順位関係に一喜一憂する人が多い。
こういう価値観の延長線上には『ざまあみろ』が出てくる。
『ざまあみろ』が芽生えると、もはや相手は誰でも構わなくなる。
相手やライバルを上回るために頑張ることよりも、相手やライバルの失敗やミスを望む気持ちの方が強くなったり、さらにこの気持ちが高じると知らない人や有名人のミスや失敗にも喜びを感じるようになる。
自分を取り巻く環境は何も変化しないのに、失敗やミスやスキャンダルで堕ちてる人を見ると『ざまあみろ』と溜飲が下がる人が日本人にはなんと多いことか。
喫煙による女子体操選手のオリンピック辞退のニュースに対する賛否の反応にはどちらにも『ざまあみろ』が感じられる。
未成年のくせにタバコなんか喫うからだ『ざまあみろ』のほかに、オリンピック自体はこれからだがそんなことで辞退に追い込むからきっと金メダルは取れない、辞退に追い込んだ体操協会『ざまあみろ』のように。
相対性ばかり意識してる人は、自分が頑張って結果を掴むよりも相手やライバルが堕ちることに快感を覚える。
『ざまあみろ』と感じて気持ちがスーっとするような自分に気付いたら要注意だ。
そんなことで気持ちがスーっとしてるようでは他人から『ざまあみろ』と思われるような生き方しかしてないはずだ。