昨日宮崎県で大きな地震があった。
その結果起こる起こると言われていながらもまだまだ先だと思われていた南海トラフ大地震が差し迫った脅威に一気に格上げされたかのような雰囲気が漂い始めた。
地球という生き物にとっての時間軸は1年も100年も1000年も大して違わない、いずれにしても一瞬だ。
しかし人間様にとっては1年後に起きるのか100年後なのかはたまた1000年後なのかは大違いだ。
つまり、時間に対する相場感覚は地球と人間様では大違いなのだ。
一般に相場感覚というと不動産や投資の界隈で用いられるワードでベテランと素人では大違いだとされる感覚。
先日の株や為替の大変動もさまざまな相場感覚の違いから大騒ぎになったと言える。
相場感覚を持ってるか持ってないかはyesかnoかの違いではなく、グラデーションを描くような違いであり、そこに当事者なのか傍観者なのかの違いや、ベテランなのか素人なのかの違いも加わったために騒ぎは大きくなった。
地震も相場も変化が起きた後では何が起きたかは説明が出てくるが、起きる前にこれから起きるとは誰も言わない、おそらく相場感覚を活かすためには時間軸に対する相場感覚もセットで必要だからだ。
つまり、言いたくても言えないし、起きることは分かっていてもいつ発生しどのように波及するかは、仮に仕掛ける人がいたとしても予測は雲を掴むようなものでしかないはず。
あらゆる人間活動がヒットしたりバズったり儲かることを目的にしてるが、実際にその目的を達成できるのはごく一部だけ、仮にヒットしたりバズったり儲かったとしてもそれは偶然やたまたまでさらなる再現性を持ち合わせてるわけではない。
しかし、目的を持ってる人が目的を達成するためには相場感覚を身につける必要があり、その相場感覚を基に作戦や対策を立てることしかできない。
問題はそんな相場感覚をどのように手に入れるかだ。
自分自身で経験を積むというのは刑事が足で手がかりを見つけるようなものだ、確実だが時間がかかり過ぎる。
手がかりとなる情報を買うというパターンもある、情報を持ってる人を知っているからこそ可能で、コミュニケーション力や人脈力があればこそ可能で、ただお金を払いますというだけでどこまで精度の高い情報にアプローチできるかは疑問だ。
欲のあるところにはさまざまな相場が存在する。
そんな相場には関係する人の数だけ相場感覚が存在する。