興味深い記事だった。
タイトルだけ見るとあの件と関係してそうだが、詩人の中原中也が実はかなりヤバい人だったというエピソードが複数書いてあった。
【大炎上】「死んでくださーい」どころじゃない!? コンプライアンスのない時代のヤバい暴言(炎上の文学史)
~~以下引用~~
とくに今みると凄まじいのが、文豪たちの間でのトラブルです。たとえば、詩人の中原中也は、「殺すぞ」といって、評論家・劇作家の中村光夫の頭をビール瓶で殴りつけるという事件も起こしています。「卑怯だぞ」と咎められると、なぜか「オレは悲しい」と泣き出したそうです。
~~引用ここまで~~
昔から思っていたが、高尚だとされる文学作品は不倫や自殺や狂気をテーマにした作品が多いように感じられ、個人的には変なことだなと思っていたし読んでも違和感だらけだった。
一方で推理小説を始め個人的におもしろいと感じる作品の多くは俗物扱いされがちで、文学という世界の評価軸には大いに疑問があった。
文学の名作の中には人間が持つ負の感情にフォーカスし過ぎたものが多かったり、作家自身が負の存在であることが多いのは、コンプライアンスが重視される現代とは相容れないものに感じられる。
サスペンス系の2時間ドラマでは開始40分頃に無理矢理Hなシーンが展開され一家団欒で見てる家族を戸惑わせていたことも、作品作りとして文学的であることが求められていたのだろうが、文学的であるということは不自然さも多かったと感じる。
歴史上の文豪や文学の世界で名を残した人々がTwitterをやっていたらさぞかし問題発言ばかり繰り返してるような気がする。
だから冒頭の記事を読んで、ごく一部の界隈の話だが何となく共通するものがきっとあるんだろうなと一人納得している。
文学的な展開の正反対が数学的あるいは科学的な展開だとすると、文学は妄想と相性が良いのも納得だ。
文学的な妄想は現代ではコンプライアンス違反がほとんどで脳内で思うことは許されても発言した途端にバッシングの対象になるのでオープンな場には相応しくない。