違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

差別化のパラダイムシフト

資格や技能を身に付けると一生安泰だと言われていたが、それでは明るい未来が描けないようになった。

 

手先の器用さは家庭内やDIYでは重宝されるが、ビジネスの最前線ではすでに機械化自動化AI化に置き換わっている。

 

車を運転するという技能は、確かに昔は履歴書に誇りを持って記入できた資格かもしれないが現代ではもはや言う必要がないレベルだし、趣味として運転が好きというのも昔には確かにあったカッコ良さは今は無い。

 

PCが普及する前のワープロの時代では、ワープロでビジネス文書を素早く正確に打てる人は特別な技能を持った人として評価が高かったが、今となってはその技能はビジネスパーソンにはデフォルトでできなければマイナス評価になるだけだ。

 

生成AIの登場は、あらゆるクリエイティブにおける技能の汎用化を促進している。

 

今持ってる技術や資格で当面の世の中を代替不可能な立場を維持しながら渡っていける人は実質1%にも満たないはず。

 

残りの99%以上の人でも通用してるように見える人はいるが、それはその人が属する現場が遅れているだけだとすると、日本が落ちこぼれる理由がよく分かる。

 

 

というような話は誰でも聞いたことがあるはず。

 

 

今起きていることを別の言葉で表現すると、自分にしかできない技術を身に付けようとすることは賢明ではなく、自分にできることは誰でもできることだと気付くことが大切となりそう。

 

誰でもできることばかりになると、できないということが致命的になる。

 

したことがない、しようとは思わない、こういう人は論外になる。

 

その一方で、ただ健康であるということが特別な何かとして機能するような可能性は高まる。

 

尤も高く評価される健康のあり方は、世間で思われてるようなウオーキングや筋トレで作られたようなものではない可能性が大だが。

 

 

他人ができない何かができる、あるいは他の人より上手にできることで差別化を図ることがこれまでの主流だったが、すでにパラダイムシフトは起きていて、誰でもが皆同じことしかできない時代が始まっている。

 

年齢性別その他差が付くと思われていた多くのことでは差が付かないようになる、年齢を重ねた人にあるとされる知恵や経験も無いよりはマシという程度だし、若さという特権ですら同様だ。

 

 

それでも人は差別化に活路を見出そうとすることを止められないだろう。

 

思わぬところで価値観の激変が起きるからこそパラダイムシフトなのだ。