新しく何かを始めようとすると、そしてそれが儲けるためあるいは自分の評価を高めることが目的ならば、まず既存の状況を自分なりに理解することから始まる。
この既存の状況の理解は良くも悪くも自分の環境(自分の能力を含めて)の影響が大きいので、理解する内容は人によって大違いになる。
共通するのは自分なりにベストを尽くそうとする点だが、もちろん自分なりのベストも人によって大違いだ。
さて、自分なりに既存の状況を理解した上で、
- 既存のおこぼれに与ることがまだ可能か
- 自分だったらもっと上手にやれるか
- 隙間になってる分野を見つける
というような判断をし『次』の展開を考えるだろう。
優秀な人だと既存の次がどうなるかが見えるかもしれないが、この判断は誰がやってもバクチ要素が大きい。
意外とイメージできないのが、
- 誰を相手に展開するか(=お客は誰か)
だ。
独立を考える人の多くが飲食の分野に入って行くのは、人間は必ず食事をしなければいけないので顧客は無限だと錯覚しやすいことに加えて、食べ歩きが好きな人や研究のために食べ歩きをしてる人ほど内心で自分だったら『こうするのになあ』というような意見を持っていることが多いからだ、まあほとんどの人がこのレベルを越えないはず、言うまでもなく私もだ。
結果はほとんどの場合が上手くいかない。
それに比べたら遊びや趣味への取り組みの場合の『次』は自分のためだから、もう少しシンプルな気もするが、こちらも他人(家族も含めて)の目を過剰に意識しだすとややこしくなる。
何のためにやるのか、誰のためにやるのか、というシンプルな問いは情報過多の現代では複雑な問いと化すのだ。
世の中や社会や人間関係などでもシンプルはどんどん減っている。
知らず知らずのうちに余計なものを背負い込むからだ。
キッカケはあまり歓迎されることではなくても背負い込んだ余計なものを振り払えるならばそれはラッキーなのが現代だ。