一人(=独り)でいることは孤独や孤立と呼ばれあまり歓迎されないことが多い。
しかし、一人でいることを積極的に選択する人の中でも、一人でいるのが好き、あるいは一人時間の方が楽しめるという人がいる、そういう人は決してコミュニケーション能力が低いとは限らない。
当然一人時間を楽しめる人は一人でいることにネガティブな思いは持ってない。
一方で、一人を楽しめない人は一人で過ごすということに寂しさやネガティブな思いを持っている。
どちらが良いとか悪いではなく、自然と人としてのタイプに違いが出る。
ここで取り上げたい一人を楽しめるとはマイペースを楽しむことと同じ。
昭和の頃は女性の一人旅だと自殺を恐れて泊めてくれる宿がないなどと言われていた。
一人飲みや一人鍋は寂しいとも言われていた、20世紀には。
自分のしたいタイミングでしたいことをする、これも立派な一人を楽しむことになる。
イヤホンやヘッドホンを活用する人にも当てはまるかもしれない。
自分のペースを邪魔する人がどんな人であろうとどんな立場であろうと嫌いな人は、一人を楽しめる素質とセンスを持っているはず。
一方で、一人を楽しむ人からすると理不尽とも思える干渉やおせっかいを受けることが好きで、時には感謝すらするような人はスポーツや職人の世界には多そう。
職人の世界には政治や犯罪の界隈も含まれる。
良い意味で一人を楽しめる人は、自分以外の人の一人を楽しむ権利を自然と尊重する。
悪い意味で一人を楽しむ人は、自分以外の人のことなど眼中にない。
ここで取り上げてる一人には、少人数の気心の知れた仲間を含めても当てはまる。
BBQやアウトドア活動で、モラルある行動とモラル無い行動が極端に分かれるのも結局一人の楽しみ方に由来するのだ。
日本の文化や経済をリードしてるのはヤンキーだと言われる。
ヤンキーとは群れや集団を作り徒党を組む生き方。
当然ヤンキーにもモラルあるヤンキーとモラル無いヤンキーがいる。
ヤンキーの場合はリーダーの資質がどちらかでチームや組織の色が染められるはず。
アメリカの大統領選を見てるとモラルあるヤンキーとモラル無いヤンキーの激突だと思える。
こうやって考えると、全然別だと思われがちな個人の行動と集団の行動は、本来はそんなに違わないのが普通なのだ。
日本の場合、『一人=村八分されてる人』あるいは虐められてる人という偏った認識が罷り通って来たが、一人を楽しむ文化の普及と定着で、集団偏重や組織偏重への偏りが弱まることは間違いないだろうと期待したい。
日本では兵庫県のヤンキー争いが佳境で、それから程なく総理大臣選びというヤンキー合戦も佳境を迎える。
期待が高まる結果を迎えるか?
乞うご期待!