夢や希望や目標に向かう行動と、嫌なことから逃げる行動は、究極的には同じらしいという話を聞いた。
究極的にはというくらいだから極端な話ではあるが、現代に即してざっくり決めつけると、多くの人が設定する夢や希望や目標のほとんどはお金持ちになるためのものだ。
一方でお金に関してはもう十分以上に儲けた人という超億万長者のような人の場合、自分を脅かす存在から逃げることにしか興味がないらしい。
ライバルに勝つなどはもはやどうでも良いのだ。
例えば、環境の激変や治安の激変が起きても自分と自分のファミリーは生き延びられる地は地球のどこになるのかを知りたがり、地球が安心できないなら地球を脱出したいと本気で望んでいるらしい。
宇宙ビジネスが流行っている半分の理由は地球で生きる人から儲けるためだが、残り半分はいざとなったら宇宙に脱出し、そこで生きることのためらしい。
こういう心配をする人は、あらゆる危険から逃げたいのだが、逃げたいものの多くは人間でもあるのだ。
どういうことかというと、ファミリー以外の人間が信用できないので自分の警護の任務についてる人にいつ殺されるかもしれないとも本気で思っているらしい。
映画などではよく見る設定だが、超億万長者あるあるらしいのだ。
信用できないものや不確実なものから逃げることにしか興味が持てなくなるらしい。
一般人の凡人として生きていても、一番怖いのはわけの分からない赤の他人という時代にはなっている。
わけの分からない者に狙われることからは逃げたいが、環境の変化は受け入れるしかできない、そういう意味ではジタバタの度合いは超億万長者より少ないはず。
金は無くても超億万長者より気楽な面もあるとすれば神様は平等だなと感じられる。