テクノロジーの進化は人間の生活を豊かにするためのものと信じられてきた。
しかし、進化が自動化AI化と進むとトレードオフの関係にあったのは人間の技や術の熟練度だったと気付かされる。
あるいは全体を把握できる能力や立場が人や企業からも減り、狭い限定された分野やカテゴリーの専門家ばかりになっている。
最初は効率的に外注委託のつもりでも、外注した分野のノウハウは失われる。
部分部分は理解しても全体を理解できない、そういうことばかりになっている。
そのことに気付くのは完全に失われた後でだ。
一方で、便利や快適は確実に進んだが、そのトレードオフの関係にあったのは何だったのかが一人一人に突きつけられているのが現代だ。
現代でよく聞く不満や不安は一言で言うと将来や未来に対するものだ。
その中身は人それぞてのはずだが、これまたざっくりと括るとお金や健康に関してだ。
能動的に自分の実力を高めようとする行為、例えば出世したい偉くなりたいだとか、アスリートが記録や順位を追求することももっと掘り下げると結局はお金のためであり、その追求を可能にするのは健康であればこそだからだ。
一方で、直接お金や健康を求めるわけではない価値観に自己実現というものがある。
区別するのは難しいし重なる部分も大きいが、自己実現の場合、自分一人で成立させることが可能になり得る。
最終的には、あるいは究極的には自分の気持ち次第だからだ。
統計上の犯罪は凶悪の度が高いものは確実に減ってるようだが、大小問わず犯罪被害や事故のニュースが絶えず目や耳に入る現代は油断することが許されないという気持ちを強くさせる。
幸か不幸か、確実に進歩してるという実感が得られる限り今の方が良いと思えるだろうが、その実感は積み重ねてたはずのノウハウの喪失の上に成り立っている。
そのことに気付けるのはある程度生きてきた人だけかもしれない。
頭が良いから気付けるのではない、比較できる過去を実際に持っているから嫌でも気付くのだ。
今になって分かることの多くは、変化の途上にはまったく気付けなかったものばかりだ。
歴史は繰り返すという言葉が意味するのは、人間はどうせだったら昔気付きたかったということにずいぶん後になってから気付くということが繰り返されてる、ということかもしれない。
全体を見渡せてる人はほんの一握りなのが現代だ、もっともらしい情報は氾濫してるが。