ふと思った、年齢を経た大人はなぜ陶芸や蕎麦打ちに惹かれるのか?
何となく想像がつくこととしては、童心に戻れるからだろう。
バカにしてるのではない、たぶんDNAレベルで染みついた何かが刺激されるに違いない。
単純で原始的な作業だが、夢中になれるし夢中にならざるを得ない。
大人だろうと子供だろうと夢中になると時間は『今』しか存在しなくなる。
求めるのは自分が納得できる状態で、時間の感覚を取り戻すのは納得できる状態に達した時か、納得できる状態には到達できないと悟る時だ。
探すと、『練る』という作業が身体に及ぼす効能の話も出てくるが、興味深い指摘として『繰り返しの美学』があった。
誰にでもできそうな『練る』という作業だが、得られる結果や心の満足は誰でも同じではなさそうだ。
コスパやタイパなど結果を得るためには最短という価値観を求める現代人にとっては、『練る』という行為そのものや、『練る』を介して到達できる領域は真反対の世界のはず。
ChatGPTに質問するとデジタル上の行為であっても多様な意味でアートに関連することであれば『練る』と共通する効果は得られると答えた。
その辺りの秘訣となりそうなのが『繰り返しの美学』なのかもしれない。