多様化だダイバーシティだと世の中の変化を表現するが、多様化して広がったそれぞれの分野を構成する人の集団は、同種の似た者同士になり中に入ると多様化してはいないかもしれない。
火野正平さんが亡くなられてその過去のモテっぷりや人たらしのエピソードが多数上がっているが、似てる人がいないという意味での多様性の先端なのか末端なのかは不明だが、唯一無二な雰囲気が人を魅了したのだろう。
偶然だが次のような表現を目にした。
~~以下引用~~
似た者同士の集団では、共通点が多いゆえに、かえって些細な違いが目立ちやすく、結果的に対立が生じることがあります。
本来ならわざわざ敵視しなくてもいい、敵視すべきではない人たちを最初から除外してしまい、結果としてそれぞれが互いに交流や情報交換ができないようになってしまいかねません。
~~引用ここまで~~
利害やコミュニティを共有しあってないたまたま偶然出会ってすれ違っただけの人に不快感や怒りを感じることは不思議なことだが現在では珍しくない。
ではいったい何に対して不快感や怒りを感じたのか?
一般的な答えとしては、自分だったらそんなことはしないという何かをその相手がしていたとなるだろうが、さらに深く追求すると、自分自身の中の自分でも嫌いな自分の考えや振る舞いの一部と似てるものを感じて強烈な不快感や怒りになってる可能性はかなり高いのだ。
自分の心には嘘は吐けないというやつだ。
身近な知り合いの誰にも気付かれてないが、知られたら非難されたり軽蔑されるようなことの一つや二つはやってる人は少なくないはず。
若気の至りや魔が差すと言われる種類の行為や結果。
しかし、これらは意外と繰り返されてることが多いかもしれない、それなりに非難されないようにシチュエーションを選びながら。
幸か不幸か今のところ大失敗はしてない、自己嫌悪を感じる程度のことはあっても。
街でムカつく人を見かけたら、自分の振る舞いを戒めたい、それは似た者同士の小競り合いに似てるかもしれないから。