面白い記事があった、どちらも最近のもの。
営業マン逮捕…断っても帰らず 玄関ドアが閉まらないように足を挟んだままセールス ずっと退去を求めていた男性、ついに通報 「帰れと言われていない」と語った不動産会社の28歳、理由不明の不起訴に
調べに対して、男は「帰れとは言われていない」と容疑を否認している。
「帰ってくれない」と警察に相談…“飛び込み営業”の不動産仲介業者社員を逮捕 家に居座った住居不退去の疑い
容疑者は「帰れと言われたら帰っていました」と容疑を否認している
一つは埼玉県、もう一つは愛知県、共通するマニュアルでもありそうだ。
令和の今の感覚だと押し売りは論外としても訪問販売も胡散臭い、詐欺や強盗その他の犯罪を予感させる形態といえる。
しかし、昭和の頃だと訪問販売に限らずごく一般的な営業スタイルとして飛び込み営業は成り立っていた、新人や経験が浅い人ほど飛び込みや直接訪問以外のやり方そのものが他に選択肢が無かったから。
昔からリストや名簿はあったが、有利な関係性が作られているというようなものではなかった。
昭和から平成初期の頃のできる営業パーソンは太客のコネや紹介が取れる人だった、そのコネや紹介が生じる第一歩は身内や近い関係性の中からというケースを除けば地道な努力の上に運や偶然を味方にできた人だった。
太客との出会いを求める活動は人脈作りや異業種交流などとも呼ばれたが、これらの活動も飛び込み営業的なものだった。
努力だけでは足りないが、運や偶然を味方にしたければ直接訪問や飛び込みという営業スタイルは避けられなかった。
大前提としてお客の側が個人だろうと法人だろうと情報量が少なかったので直接訪問や飛び込みは礼儀やマナーで不快感さえ与えなければ受け入れてもらいやすかった。
そして時は流れ、情報量に関してお客の側が少ないということはほぼ無くなった。
問題になるのは情報の質だ。
ネットやSNSを介して情報が直接訪問や飛び込み営業をしてくるようになったのだ、玄関先に直接人が来るわけではないが、情報の背後には確実に人がいる、表面上の礼儀やマナーは弁えているように振る舞いながら。
人(法人)と人(法人)が情報を介して意気投合したり契約することはマッチングと呼ばれるようになった。
マッチングに必要なのは双方の納得だが、実際には説得や論破が展開されることも少なくない。
納得だろうが説得だろうが論破だろうが、マッチングが成立すると共感が成立したかのようになる。
共感は誤解や錯覚の上に成り立つことも少なくない。
当然マッチングできなかったケースの中にも誤解や錯覚が原因でマッチングできなかったという場合もある。
昔は情報そのものにリーチすることが簡単ではなかったので情報を伝える人に依存することになるし、依存するのは情報単体だけでなくその理解や解釈も依存することになった。
情報がどのような経緯で伝わるかは現代ではさまざまあるが、その理解や解釈のために人を必要とする人は現代でも少なくないかもしれないが、情報さえ入手できればその理解も解釈も自分でできるという人は増える一方のはず。
理解も解釈も自分一人でできると思えるのは出回ってる情報の中に広い意味で教えてくれる情報が多いからでもある。
そんな教えてくれる情報も増えれば増えるほど質の重要さが増すことになる。
気がつくと情報のほとんどが広告宣伝やそのレビューばかりになっている。
人間同士のコミュニケーションの多くは営業したりされたりの繰り返しのようだ。