賢い人や意識高い人の多くが現代社会は市場原理で動いていると考える。
市場やマーケットを意識すると、役に立つとは評価されることであり、評価されるとは売れること、とごく自然に理解するようになる。
この考えは人間関係に対しても及ぶようになるので、多くの人が市場で評価されるような人間になりたいと考えるし、一定の評価が得られればさらに評価を上げたいと望むようになる。
このような市場的評価を人間関係に持ち込むことが当たり前になると人間関係はいつでも替わりが効く関係になる。
テレフォン人生相談でお馴染みの加藤諦三さんは人間関係は替えが効かない関係こそが大切で、決して大人数と関係を結ぶことが幸せになど結びつかないと言っている。
さて、そもそも評価されたいと思うことは市場を意識していても最終的には支配者や権力者に媚びる気持ちに通じるという意味では被支配者の域からは抜け出せてないことを意味する。
パブロフの犬という有名な話がある。
パブロフ博士が犬に餌を与える際に必ずベルを鳴らすようにすると、犬はやがてベルの音を聞くと餌がもらえると学習し、ベルの音を聞くだけで涎を垂らすようになるという話。
この話は、習慣化の話であるとともに支配者が被支配者を手懐けるやり方でもある。
この話には本当か嘘か分からない続き話がある。
パブロフ博士は犬に餌を与える際にベルを鳴らす習慣がすっかり定着した結果、犬が餌を与えるタイミングよりも前に空腹を感じていて涎を垂らしているのを見るとベルを鳴らして餌を与えたくなるようになったという話だ。
世間では犬のパブロフと呼ばれたりしている。
他人から評価されたい、あるいは他人を評価したいという思いは一定の度を超えると本末転倒と相性が良さそうだ。
本末転倒であり主客転倒だ。
評価と書いた部分は支配と置き換えても成り立ちそうという意味では世の中は確実に回っているなと感じる。