思考や想像は意外と前提に束縛される。
自由に思考や想像を膨らませようとしても見えない壁のように『前提』が立ち塞がる。
ロジカルシンキングとは前提に則って思考することで、前提に縛られないことを目指すのがラテラルシンキングやクリティカルシンキング。
何れにしても人間の思考や想像は『前提』に影響されるのだ、そんなことを思わされる話があった。
この話は囲碁がテーマだが囲碁に限らないだろうなと感じる。
【人間教師とAI教師】
— 毫釐千里⚫️ごうりせんり⚪️ (@gorisenri) 2024年12月25日
人が囲碁を教えるグループとAIが囲碁を教えるグループを比較したところ、AIが教えた子たちの方が強くなっただけでなく、それまであった男女の実力差がほぼ解消したそうです。
棋力の男女差は、生物学的な性差によるものではなく、指導する側の問題だったことを示唆する結果です。 https://t.co/wVU6GNHbAl pic.twitter.com/dUFxlfcx3X
加藤諦三さんが言っている。
怒りや憎しみのような負の感情に囚われてる場合、キッカケとなった相手に向けられた感情だと思い込むが、本当の怒りや憎しみの対象は自分自身であることが多い、と。
心があるが故に悩むことの多くは前提さえ変えることが出来れば悩みではなくなることがある。
もし悩みが深いなら前提として囚われてるものが何なのかを理解しよう。
それさえ出来ればその前提を変える知恵は浮かぶはず。