個人的に箱根駅伝を好きになったのは大学生の頃。
東京で大学生をしかつバイクに乗るのが大好きだったわたしにとって箱根駅伝の横浜から湘南箱根のコースはよく走ってた道で、帰省した実家で見てると臨場感が高かった。
駅伝そのものよりも道路や沿道の景色や風景を楽しんでいた。
沿道の景色や風景の変化は都市計画に基く開発の結果だと思うと、昔と同じだと感じてるものでも昔とは違ってるものも少なくないかもしれない。
沿道の景色や風景を楽しむのは今でも同じだが、いつの頃からか駅伝そのものも楽しむようになっている、単なるレースや競争にとどまらない人間ドラマも味わい深いからだ。
ほぼ似たような光景が毎年展開されているのだが、今年改めて思ったことがある。
今まではあまり思わなかったこと。
東京および首都圏はやっぱり人が多いなということだ。
大きな流れとしては日本は人口減少の加速度が増す方向に向かってるはずだが箱根駅伝をテレビで観てると日本もまだまだ行けるのではと錯覚が起きるようだ。
一方で正月といえばかつては初日の出暴走などで警察と暴走族が繰り広げる大捕物も話題だったが、21世紀に入るとそれも昔話にトーンダウンしていった。
ちなみに今年の暴走族ネタは小規模なローカルネタとして若干あるくらいだった、またかつては若者がやる行為だったがいつの頃からか中年から初老が主要メンバーになっている、要はこの業界には新規参入者がいないということだ。
箱根駅伝で沿道を走ってる車やバイクの種類もずいぶん様変わりが感じられる、今起きてる変化ではないのだが。
比較できる過去の体験を持つ人にとっては正月の雰囲気も昔と比べるとずいぶん変わった。
凧上げやコマ回しや羽根つきなんてすっかり見なくなった、河川敷などの広場が近くにあれば見れるかもしれないが。
ありそうでないのが『場所』だ。
そう考えると箱根駅伝は奇跡なのかもしれない。
年齢や性別や世代を超えて共通の話題にできる数少ない正月ネタなのだ。
箱根駅伝が無くなったら日本の正月は本当に寂しいものになりそうだ。