私には食べ物の好き嫌いがある。
食材の好き嫌いや調理法の好き嫌いなど。
テレビでグルメ番組を見ていて、出演者が美味しそうに食べていても自分には無理だなと感じることは少なくない。
私に好き嫌いが多いからと言っても親や兄弟には当てはまらないことがあるので遺伝的な要素は小さいように感じる。
何を食べても美味しいと感じられるのは得な才能だなと感じるとともに、本当に何を食べても美味しいと本音でも思っているのだろうかという疑問は拭えない。
音楽に関しても同様なことを感じる。
ラジオなどの音楽番組でどんなジャンルの曲でも自分の得意分野のように扱うDJやパーソナリティは特殊な才能を持ってるなと感じるとともにそれらの職業は好き嫌いが強いと自分の活動の幅を極端に狭めることになるだろうなと思うが、逆に専門性が強まるとも言えそうな気もする。
好き嫌いが強いというのは、スポーツの道具としてのゴルフクラブやラケットやバットなどのスイートスポットが狭いことに似てる気がする。
スイートスポットを少しでも外すと思った通りに打ち返すことができないと解釈すると、好き嫌いの強さはコミュニケーションのスイートスポットも小さくしてることは間違いないだろう。
スイートスポットが小さく狭いためにコミュニケーションを厳選できてる人は幸せだが、本当はスイートスポットが小さく狭いのにスイートスポットが大きく広いかのように振る舞ってる人は日常が苦痛かもしれない。
スイートスポットを意識するのは自分と自分の外側の世界の間だけではない。
自分自身の内側にもある。
脳が感じてることと身体が感じてることのコミュニケーションにもスイートスポットはあるはず。
もう少し正確に表現すると、意思でコントロールできる非自律神経系と意思とは関係なく動く自律神経系のコミュニケーションだ。
好き嫌いの強さを反省すべき改善点などと解釈するとその先のコミュニケーションはより間違いの度を深めることになるかもしれない。
身体や心にもスイートスポットがありスイートスポットを外すとコミュニケーションは最悪破綻するということは知っておいて損はない。