違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

『余裕』を定義し直す

上がったり下がったりにしか見えてなかったことに循環を感じるようになると、見え方が違ってくる。

 

近年世の中で起きることを見ていると誰もが気付いているだろう。

 

最小の労力で最大の結果を得ることが当然だという価値観は効率を何よりも重視する。

 

効率と天秤に掛けられる要素のことごとくは排除されるようになる、無駄にしか見えないからだ。

 

そんな無駄に見える要素は別の表現をすると余裕に該当する。

 

循環が成立していたのは余裕があったからだと気付くタイミングが重要だ。

 

余裕は単体では悪者扱いされないが、そこにもコストが掛かるし時間だって消費する、それが見えた途端に無駄扱いを受けるようになる。

 

効率重視の正当化が極まれば極まる程に、それまで成り立っていた循環が阻害されていることに気付くようになる。

 

しかし、だからと言って効率重視は簡単にはやめられない、効率重視に替わる共通の価値観が簡単ではないからだ。

 

この価値観の転換が困難なのは組織や構成員の規模が大きくなればなるほどだ。

 

逆にいうと個人単位や小規模な集合体であればこの価値観の転換は容易だ、気持ちの問題であり規模が小さければ価値観の共有が容易だからだ。

 

効率重視の対立概念として余裕が見えることで新たに見えてくる概念がサステナブルやレジリエンス。

 

持続可能性とかしなやかな回復力と訳される概念。

 

まだまだ国家単位や大企業単位では活路を効率重視に見出そうとしている、つまりますます余裕を削ろうとしてるのだが、そうなればなるほど削られる余裕の側に位置してる者や物やモノが本来の存在意義を発揮できなくなる。

 

 

賢明な人はそれぞれに自分にとって大事な余裕が何なのかを理解し、その余裕を守るために何が必要かを模索してるに違いない。