イソップ童話で有名な話。
羊飼いの少年が『狼が来たぞ』と嘘を何度も吐いた。
最初は村の人は羊を守ろうと大騒ぎしたが、どうせまた嘘だろうと少年の言葉を信じなくなった。
そんなある日、本当に狼が出て、それに気付いた羊飼いの少年が『狼が出たぞ』と発したが誰も少年の言葉を信じず村の羊は全滅したという話。
この話は教訓話として伝わってるが、その教訓は多様性がある。
一体誰が一番損したのか、誰が一番の被害者なのか、一体どうすれば良かったのか、の解釈が多様に存在するからだ。
不安や心配に素早く反応できることは危機管理には大切だが、騙されないぞと思う気持ちもまた危機管理に該当する。
危機管理やリスクマネジメントは昔からDNAレベルで本能に刻まれているはずだ。
下水をはじめとした生活インフラの維持への心配や不安が急に現実のものになったのが今の日本。
強風がいろんなものを壊すし火を煽るから火事も大火事になりやすくなる。
詐欺が多いから人の言葉はますます信用できなくなる。
騙されるのは欲をかくからだけではない、信じたからという場合も少なくない。
現在の地震情報は発生した地震を1秒でも早く伝えるためのもので、発生した地震をキャッチする技術を基にしている。
つまり地震が発生したから地震警報は発されるがその精度は100%ではないので誤報もある。
『地震が来たぞ』という情報は『狼が来たぞ』に似てる。
どちらもいつ来ても何の不思議も無いのだが、多くの人にとって『来る』ことは特別だ、来ないことがデフォルトだから。
『来たぞ』と言いたい人は良い人なのかもしれないが、そんな機会は一生に一度も無いのが当たり前。
それでもどうしても『来たぞ』と言いたい人は『来るぞ』と少しオブラートに包む。
『来るぞ』という表現が刺激的過ぎると指摘されると『来るかもしれない』『来てもおかしくない』とさらにオブラートに包む。
直接的に刺激するから危機管理になるのだが、そんな危機管理には外れたらどうするという危機管理が表裏一体のセットになっている。
世の中の危機管理がどちらよりの危機管理なのかを読み解くのは童話を読むようだ。