違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

ストレスという波でサーフィン

『自分より劣る人と自分を比較する下方比較は報酬として作用する』、『自分より優れている人と自分を比較する上方比較は損失として作用する』、人間の脳がそういう反応をすることが脳科学で明らかになっている。

 

つまらないことや些細なことでマウント合戦や優劣合戦に人が夢中になる理由でもある。

 

毛色が違うところでは、論破したとか論破されたとかも同じ理屈が働いているはず。

 

だからこそ人は自分の優れてるところを伸ばしたいと思うし、自分より優れてる人をお手本や目標にしたいと考えることもできるが、一番手っ取り早いのは自分より劣るであろう人を見つけることだと思うこともできる。

 

自分より優れてる人に関する情報にストレスを感じた人は、そのストレスと釣り合いが取れそうな別の情報を求めるようになる。

 

自分を優れてる側に導きそうな情報を求める場合もあれば、今の自分より劣っている人や劣ってるであろうと自分が思える相手に関する情報を求める場合もある。

 

情報時代と呼ばれるようになって久しいが、大半の情報はマウント合戦や優劣合戦を刺激するものに偏っているしそのように編集されているものが多い。

 

そういう際には正義という切り口も強い力を持つ。

 

正義という切り口が力を持つということは、反対側の価値観(必ずしも悪とは限らない)に着目する人も少なくない、博打や投資における逆張りだ。

 

世の中は平和で呑気で甘くてしょうがないと思えてる人もいれば、世の中は残酷で厳しくて理不尽に満ち溢れてるとしか思えない人もいる。

 

 

生きるということをサーフィンに例える話がある。

 

来る波を上手に掴みいかに波に乗り、一旦乗ったらどれだけ乗り続けられるか、いかに華麗に乗れるかを競い始めるが、本当はただ乗ってるだけが一番楽しめてる状態かもしれない。

 

波が無ければ始まらないが、波はストレスそのものでもある。

 

波は、見える人には見えるし見えない人には見えないが、常にある。

 

見えてる人に見えてる波は、きっと人それぞれ。

 

 

波の見え方に一喜一憂するのは多分勿体無い。