最近、と言ってもざっくりこの数年くらいの間に、成功して勝ち逃げを達成できてるように見えてた有名人の失脚劇が相次いでいる。
いわゆる旧悪の記録や自身の発言などがブーメランとなって倍返しを受けてるかのように。
成功してそうに見える人ほど実際の年齢に関係なく、残りの人生に消えることなく付いて回るだろうから印象としては晩節を汚したように見える。
21世紀に入ってからだとデジタルタトゥーに気を付けろと言われるようになっているので用心深い人は気を付けていただろうが、自分が特権階級だと思い込んでいた人や勝ち馬にしっかり乗っていると思い込んでいた人ほど、用心が浅いかそもそも用心してなかったかもしれない。
そして実は昭和のアナログタトゥーもバカにならないのだ、人々の記憶というアナログタトゥーは実際以上に誇張されがちだから。
悪事や明らかな失言以外に本音も要注意だ。
最近の有名人の失脚事例を見てると、成功に見えたのは勝ち馬に乗ったことで権力めいたものを手に入れたように見えていたからだが決して多数派の支持を受けていたわけでは無いような場合に起きてるような気がする。
その存在を愉快に感じてる人はそれなりに多くかつそれらの人が意外と声が大きいような場合は支持が強固に見えるが、不愉快に感じてる人の方が実は圧倒的に多数のような場合だ。
俗に言うところのノイジーマイノリティとサイレントマジョリティの構造だ。
失脚はサイレントマジョリティを怒らせたから起きるのだが、少なくとも日本では昭和平成とノイジーマイノリティが牽引役を果たしていたこともまた事実。
これからはサイレントマジョリティを無視できない時代だ。
それは愉快を重視することから不愉快排除の重視へのシフトをより顕著にするだろう。
楽しい、気持ち良い、も従来とは違ったものにシフトすることだろう。
表面的な競争は今後も続くが、それは勝った負けたで論じられるものではなく不愉快ではなかったか、その上で、楽しかったか、気持ち良かったか、で論じられるようになるなら大歓迎だ。