違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

陰謀の対義とは

『備蓄米が放出されてるのにお米の値段はなぜ下がらない?』

 

『トランプ大統領の関税政策が真に意図することとは?』

 

『昔は無かった種類の犯罪や事件が増えるのはなぜ?』

 

などなど、世の中にはその答えが確実にあるはずなのにと感じるが真相はわかるような気がしない時、人は自分なりにストーリーを作る癖がある、そして自分の琴線に触れるような意見や解釈に出くわすと『そうだ、きっとそうに違いない』と思い込む、きっと誰もが。

 

ウソや詐欺に引っかかるような場合、心のどこかでずっと『いつかとんでもないことが自分に起こるかもしれない』という不安や心配や期待を持ってることが多いはず。

 

いつか自分の身に降り掛かるとんでもないことには、とてつもないラッキーも含まれるので、期待も大きいのだ。

 

自分の中に、相応しいストーリーが出来上がったり描けたような場合、次の行動への強いモチベーションが生まれる。

 

掛け値なしに見事な自己実現もあれば、騙されて被害に遭うような場合もあれば、後悔先に立たずもあるなど、結果はピンキリだ。

 

 

人はその人なりにさまざまな経験や学習を積み重ねながら、その時々で遭遇する事態に対して、脳内で描くストーリーを変化させるようになる。

 

経験や学習の中には成長や老化も含まれる。

 

陰謀論に惹かれたりするのもそんな経験や学習の積み重ねの結果だ。

 

陰謀に良くないニュアンスが感じられるのは誰でもだろうが、では陰謀の対義とは何かと問われたらピンとくるだろうか?

 

私は「?」となった。

 

そこで検索すると、

 

 

と出た。

 

 

ざっくりと解釈すると、耳元で小さな声でコソコソと囁かれる話全般が陰謀につながると思えてくる。

 

そういえば声が大きい人に嘘吐きは少ないと言われるなと思い出した。

 

声が大きい人は話の内容の是非はともかく、言ってる本人は多分その話を本気で正しいと思っているか、あるいは信じているからこそ大きな声で喋るというのはその通りかもしれない、そうではないのに大きな声で喋れるとすれば役者や演技の才能が高いのだ。

 

 

陰謀論は耳元でコソコソ話しかけられる以外に、演技力のある人が大きな声で喋ることで説得力が演出されていそうだ。