テレビで米の食べ比べをしていた。
備蓄米の随意契約に絡んでのもの。
比較されていたのは四種類。
- 昨年の米(現時点で最も新しい)
- その前年の米(古米)
- 古米の前年の米(古古米)
- 古古米の前年の米(古古古米)
普通の味覚の持ち主には、それぞれの米がまったく同一条件で炊かれたものは区別がほぼつかないようだ。
厳しく比較すれば昨年の米と古古古米だと違いは感じるようだが、あくまでも比較すればの話で、古古古米だけを食べた場合にはなんの不満もないというものらしい。
もちろん舌が肥えた美食家は違う反応をするのかもしれないが。
大前提として備蓄米は古古古米であろうと保管状況が良いからこその結果のようだ。
それにしても一部では古古古米なんて家畜の餌にしかならないと言われていたのとは大きく違うようだ。
『やっぱり新米は違うね』なんて会話も実は味音痴だから成立していたかもしれないし、ただ空気を読んでいただけかもしれないのだ。
さて、古古古米の価格が安いことを歓迎できる人にとっては、古古古米はきっとコスパが良いと評価されるだろう。
コスパが良いから多めに買っとくかと思えればコスパの良さはさらに大は小を兼ねるにもなるだろう。
ではもし米の食べ比べの結果が多くの人の予想通り、古いものほど不味いとしたら古古古米はどんなに安くても買わない人がほとんどだろう、そんな場合には安物買いの銭失いだと思うはず。
情報化社会では情報格差も大きくなる一方のはず。
コスパが良いという判断もきっとピンからキリまであるはず。
さて、これからの展開の楽しみ方には、一連の米を巡る騒動で一体誰が一番得をするのかを見極めることがある。
表に出てくる情報がすべてではない。
何せ物が米だけに政治も絡めば法人も個人もメディアも入り乱れて自分こそが得を手に入れようと必死な行動が展開されることだろう。
そういう楽しみ方もあるのだ。