機械化、自動化、AI化とテクノロジーが進むほどに人間の出番は減っている、そして減るだけでなく必要とされる度合いも薄くなっている。
そんな現代の要はコピペだ。
現代にうんざりしてる人は、コピペにうんざりしてるのかもしれない。
経験や知識だけでなくノウハウやセンスやアイデアすらもコピペの対象だ。
手先の器用さや作業の丁寧さこそが差別化の原動力だったアナログ時代はコピペは容易なことではなかった、技は盗むものだというセリフが罷り通ったのは簡単には盗めないし、教えることも容易ではなかったから。
そこに風穴を開けたのは道具や周辺環境の時間を掛けた進歩や整備の結果だ。
道具や周辺環境の進歩や整備は、手先が器用ではなくても丁寧に作業すれば一定水準のレベルを誰でも達成できるようにした。
そんな変遷のプロセスの中から機械化や自動化も進化したが、機械化や自動化は当初はミスなく疲れることなく動き続けることが求められていた。
そんな機械化や自動化が熟練した職人を超えるのはあっという間だった。
人間に求められる能力や判断は、売れるもの、評価されるものを見つける能力であり、それを設計(プログラム等も含む)する能力になった、このような能力はコピペのハードルも高いが常にコピペの波に晒されている。
家電やITや自動車などの分野はまさにコピペだらけだ。
次から次に新しいものがリリースされるが、どれも見た目もできることも似たり寄ったりのレベルを超えない。
ちなみに、ChatGPTに『コピペの反対概念とは?』と質問した場合の答えを要約すると、『ゼロから自力で構築することであり、されるもの』だった。
コピペとその反対概念の中間に存在するのがオリジナルだ。
現代では、ゼロから自力で作りました的なもののほとんどが多数のコピペをベースにしたオリジナルと称したものばかりだ。
現代人のほとんどは、ゼロから自力で構築するということがどういうことかが多分理解できないはず。
賢いつもりで生成AIを使いこなすなんて言ってる人ほどコピペに取り憑かれてる人と言えるだろう。
コピペじゃない生き方とはどういうものか?
それを考えるよりも、人が自分の身体を使って行えば大抵のことは自力で構築することになることに価値を見出した方が良さそうだ、それらの多くは決してゼロから始めるものではないにしても。
ただ現代人のほとんどは、『コピペじゃない生き方とは?』と生成AIに聞いたり検索しようとするはずだ。