妙な事件や事故やトラブルが多い。
そういうことの当事者はどんな人なのかに興味を持つ人は多いだろう。
そういう時の大前提には、少なくとも加害者は自分とはまるで違う価値観を持っていて、まるで自分とは相容れない生き方をしてるはずだという思い込みがあるはず、同時に自分が当事者になるとしたら被害者としてだろうという思い込みもあるはず。
しかし、現実の事件では加害者も被害者もどっちもどっちというケースは多いし、中には形式上は被害者でもどう考えても真の加害者であり主犯は被害者の方だというケースだってある。
つまり、被害者になる(=巻き込まれる)ことがあり得ると思ってる人は実は危険な人予備軍でもあるのだ。
つまり、予備軍まで含めると世の中は変な人だらけだし、怪しい人だらけなのだ、そしてそんな一人が自分である可能性が大なのだ。
だからこそ意識したいのが、分かりきってるつもりのことを自分なりの解釈で世間一般とは違う自分なりの表現で表すという習慣を持つこと。
表現が変わると、突然巻き込まれたと思ってたことに実は自分から近づいていたということに気付けるはず。
外野の赤の他人からは意外とはっきり見えるのが加害者の過失や被害者側の落ち度で、被害者の場合どう見ても自分から被害に遭いに行ってるということが表現を変えると見えてくる。
世間一般では、自分から被害に遭いに行く人なんていないと言うが、実際にはそうではないのだ。
特に『自分は正しい』『自分は間違ってない』と言う人ほど。
自然災害などが相手の場合に重要視されるのが危機察知能力。
何の気配も漂わせず迫っている危機を察知する能力の正体は、常に今来たらどうしようと考える習慣であり、備える習慣なのだ。
研ぎ澄まされた能力を超能力とか特殊能力と呼ぶのは、日常生活を深く考えることなく受け身で生きてる人で、常に考えることが習慣化してる人は元々持ってる能力が習慣化で研ぎ澄まされたと気付ける。
分かったつもりのことを別の表現を用いると、全然分かってなかったと分かることは多い。