フェイクニュースや詐欺が増え陰謀論も賑やかな現代では、意識高い人は何が真実なのかを知りたいと願うはず。
しかし世の趨勢は『どうしてそんな話を信じるんだ』という方向に傾いているようにすら感じる。
一時期はネットニュースやSNSの話題に対してテレビや新聞というオールドメディアの方が真実を伝えていると思われていた。
しかし、分別を弁えているように見えたオールドメディアは確かな取材と裏取りで取材内容を担保してるからだと信じられてるうちは良かったが、やがて核心に迫れず煮え切らない報道にしか見えなくなって行った。
それは取材も裏取りもしないネットやSNSの論調の方が核心にズバッと切り込んでいるように見えるという対比を受けてだろう。
核心に迫れないのは、迫れないのではなく迫らないだけではないかと見えると、取材対象への忖度やご機嫌取りの意識の方が強いからだと見えてしまう。
そう見え始めると、何のためにそんなことをするのかという疑問につながる。
昔だったら権力者や強い影響力を持ってる人や組織にビビっているからだと思う人が多かったが、やがてその方が儲かるような仕組みでも築いているのだろうと思うようになる人が増えた。
『真実は何?』という揺るぎないことを求めてるつもりのさまざまな立場の人々は、徐々に『その件に関して自分が最も納得できるストーリーは何?』あるいは『その件に関して自分に最も都合の良いストーリーは何?』に関心や興味がシフトしたように感じる。
このような関係性は医者と患者の間でももはや当たり前のはず、そう思い始めると家族関係や恋愛関係や信頼関係なども質的に大きな変化が及んでいてもなんの不思議もない。
『真実』をテーマに掲げながら、展開されるのは自分の都合の押し付け合いだとするなら、たった一つのことを愚直に信じるというのは愚かなことになる。
だとすると、プランA、プランB、プランC…と、常に複数の策を瞬時に構築できる能力が必要になる。
人間同士の関係性だけではなく生成AIとの間でも起こるし、自問自答するような場合ですら含まれるだろう。
正義と対立するのは悪ではなく別の正義だと言われるように、真実や真相と対立するのは別の真実や真相で、そんな真実や真相がたった一つの件に関しても複数あり得る、現代はそういう時代だと知っておいて損はないはず。