最近はコンプライアンスというと、ハラスメントを斬る際のキーワードのようになっているが、日本人にとっては企業コンプライアンスとしてビジネス用語寄りのワードとして2010年頃から認知されたと記憶している。
攻めの姿勢が思わぬ形で足元を掬うことがないようにという企業防衛のために法や公序良俗は守らねばならない、そういうことの指標がコンプライアンスと呼ばれるようになった。
それから10年以上が経過した現在では、コンプライアンスは企業はもちろんだが個人にも適用されるようになった、個人と言っても有名人や著名人だ。
この数年、芸能界の大御所みたいに思われていた人物が相次いでコンプライアンスの名の下に失脚している、中には失脚させられる前に自ら病気を理由に表舞台から去った者も出た。
世の中がホワイト化に向かってると指摘する人もいるが、一足早くホワイト化が及んだのが芸能界やスポーツ界だが、政治やビジネスの世界でも無視できないものになってるはず。
一方で、有名人でも何でもない一般人の皮を被っている人物の中には、目立たなければあるいは自分だと特定されることさえなければコンプライアンスなんて怖くないと思ってる人はまだまだたくさんいるはず、だから詐欺的な事件は増える一方だ。
『人権侵害だ』なんて言われても、言われた側も言った側も今一つピンと来ないのではないかと感じるが、『コンプライアンスに反する』と指摘されると、当事者だけでなく周りの傍観者も『この人は大変なことをしてるのか』と思わせる力はきっと絶大だ。
コンプライアンスなんて呼ぶから分かりにくいが、要は人が嫌がることや不快に思うかもしれないことさえしなければ何も問題はないのだ。
しかし、コンプライアンスに反するであろうことをする人は、『それはどんな法律に違反してるのか?』、あるいは『証拠があるのか?』と言いさえすればそれが免罪符になるという生き方をずっと続けてきた人たちだから、相手が嫌がるとか不快に思うということに対してとても鈍感で無神経、ついでに言うと年齢は比較的高い人が多いはず。
コンプライアンスをきちんと意識できな人は、自身の人生の後半や晩節を自分で不幸なものにすることになるだろう。