選挙とは投票による多数決。
多数決による決定は、望ましい決定になるとは限らないが、受容れるだけの正当性があると多くの人が信じてる。
少なくとも本当に多数決ならば。
そんなことを思わせるツイートが流れていた。
普通の人が投票に行かない国は、極右と極左と宗教が投票するからおかしな政党が増える説。
— ひろゆき (@hirox246) 2025年7月19日
投票義務化して、普通の人が普通の政党に投票するオーストラリアの選択は正しいやも。 https://t.co/eORi3RrYPB
政治という観点で、大きく価値観を二分する表現としてよく用いられる対比(対立)には『右と左』や『保守と革新』が長らく続いた。
そして最近5年くらいで急速に台頭した対比(対立)表現に『グローバリズムとナショナリズム』がある、カタカナ表現になると日本人にはピンと来にくいかもしれないが、トランプ大統領的なのがナショナリズム、つまり自国ファーストであり自国人ファースト、対してグローバリズムは自分や自社に都合が良ければ付き合う相手はどこの誰であろうと構わない、自分や自社が儲かるならば他がどうなろうと知ったことじゃないというもの、企業家や投資家の多くはグローバリストになるはず。
他にも対比(対立)表現はあるかもしれないが、現代人はこれらの一つだけにこだわっていると言うよりも、どれもがごちゃ混ぜになって価値観の揺らぎが大きくなっていて、それに振り回されている。
先進国で起きてる少子化は、価値観の揺らぎの反映故でもあるだろう。
上記は政治経済に関することだが、価値観的には趣味や遊びにも影響は及んでる。
世間ではスマホやSNSの影響だとされてるが、それを超えて多くの人々が直面している(させられている)根本的な価値観の揺らぎこそが厄介なのだ。
先日の芥川賞と直木賞の発表ではともに該当者なしだと話題になっていた、必ず選択肢の中から誰かが選ばれるという仕組みにみんなが納得してるとしたら大間違いだと気付かせてくれる出来事となったのだ、一部ではただでさえ書店で本が売れないのに、これで受賞作が売れることを期待していた本屋には厳しいと話題になっていた。
しかしこの該当者なしという決定が、選挙の投票率が低い場合に適用されたらおもしろいと思う、もちろん供託金も没収で。
線引きをどうするかという問題はあるが、多数決の意味が変化するので得票数によっては該当者なしはあっても悪くないと思う、当然ながら上記で紹介したツイートのように投票を棄権した人への罰金もありだろう、該当者なしの線引きを考えるよりよほどハードルは低いと感じる。
明日の参院選と書きながらももはや今日の参院選になりつつある、今回は選挙結果以上に投票率が気になっている。