違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

映像があると無いとでは大違い

昨日横浜みなとみらいの花火大会で事故があった。

 

ニュースやワイドショーでも伝えていたから知ってる人も多いだろう。

 

同じ花火大会はずっと以前は山下公園前で開催されていた。

 

1989年にも爆発事故が起きその時は花火師が亡くなっている。

 

しかし、その事故のニュースは一部の新聞の片隅に小さく載っただけだった。

 

現場に居合わせた人の中の一部だけが事故だと気付いたが、それを言葉で伝えるしかできないことは無力感があっただろう。

 

わたしはその時の話を事故の翌日に事故を目の前で見ていた二人から聞いた。

 

二人はデートとして花火大会を訪れていた。

 

事故が起きた時、打ち上げる予定にない花火に次々と引火し大爆発になった。

 

今回の事故の映像を見れば分かるが、花火の爆発や暴発は離れて見てると花火にしか見えない、ただ飛んでいく方向や花火が開く位置が普通じゃないのだ。

 

 

同じ光景を見ていたはずなのに、二人の理解はまるで違っていた。

 

男性の方は、即座にこれは事故だと直感したらしい、大爆発の前の最初の小爆発の段階で「ああこれは普通じゃないことが起きている」と察したらしい。

 

一方、女性の方は演出だと思っていたらしい。

 

結局花火大会は途中で終わっているのだが、なんのアナウンスもなかったらしいので、周りには壮大なフィナーレだと思っている人も少なくなさそうだったらしい、中には予定より終わるのが早いことに気づいた人もいたようだが。

 

花火大会を直接見ていた人が死者まで出た事故だったんだときちんと理解できたのは新聞を見た人くらいだったのだろう。

 

 

 

ちなみに新聞記事は三人で複数の新聞を買い、探して見つけた。

 

新聞を読んで男性の方は「やっぱりね、死者まで出てたんだ」と反応したのに対し、女性の側は「事故は起きたかもしれないけど、派手なことをやろうとしてたことは間違いないんじゃない」と反応していた。

 

1989年当時だと静止画を撮ってる人はいても動画を撮ってるなんてマスコミ以外にはほぼいない時代だったし、仮に撮っていたとしても鮮明ではなく見解が分かれるような映像にしかならなかったと思う。

 

映像に頼ることなく何が起きていたかを伝えるのは簡単ではないし、何が起きているかを瞬時に正しく見抜くのは日常をどのように過ごしているかも影響するはず。

 

即座に事故だと直感した男性は腕の良い自動車のメカニックで日頃からトラブルやクレームを処理してる人だった。