芸能界を生き抜くためには運や実力以外に推されることが大事だという話を読んだ。
そりゃそうだろう、ファンに支持されてこそなのは当然だ。
しかし、この場合の推されるとはそういう意味ではなかった。
有力者やパトロンや大口スポンサーを掴めなければ芸能界では生き残れないという意味だった。
もしその通りだとすると、長期間に渡って人気と実力があるように見えてる芸能人(大抵の場合大物扱いされてるはず)は、ファンとして推してる側からは見えない誰かに推されることで芸能界を生き抜けられてることになる。
このような形で推されるということは良いことばかりではない、相手は推すことの見返りを求めるからだ。
翻って、世間一般で言う推し活の場合、推すのはいわゆるファンなのだが、ファンは直接的な見返りなんかは求めないので、推す推されるという関係性には両端に『応援したい』と『支配したい』という軸を持つグラデーションがあることが分かる。
政治や宗教の世界では、応援されてる側の多くは実は応援してる側に支配されている。
政治が絡む世界には組織内候補というのがある、特定の業界や団体を支持母体としてるような立候補者の呼称だ。
組織内候補で議員に当選しても、支持母体など持たずに地道な草の根活動の結果当選した人のような達成感は実は得られないと感じる、所詮支配されてる立場だから。
似たようなことはSNSでも起きているだろう。
世間を自分の言葉でバズらせてるように一見見える人の中には、組織内候補のような人が少なくないはず。
しかし、表面的には推されてる人に見える。
『推す』と『推される』の関係性は深く考えなければ双方向の対等性があるように錯覚しがちだが、実際には対等性などまるで無い場合がほとんどなのだ。
爽やかで無邪気な関係に見えるところに落とし穴が開いてそうだ。