『探し物はなんですか?』で始まる井上陽水の曲が脳内を流れたような気がした。
本当に探し物があるような場合だったら、そう声をかけられると反応するかもしれない。
しかし別に探し物なんか無ければ、きっと何かの勧誘だろうと無視する人がほとんどだろうが、心に虚しさを感じてるようなタイミングだったら反応する人もいるかもしれない。
日常では『探し物は何ですか?』とは聞かれないかもしれないが、自分の態度や雰囲気から『何かお探しですか?』という声かけであればあっても不思議はない。
『探し物は何ですか?』という声かけは二人称視点から生まれる。
『探し物は何ですか?』と声かけこそしなくても、あの人はきっと何かを探してるんだろうなと感じさせる場合は三人称視点になる。
アクションカメラやスマホの普及で世間には一人称視点の映像が溢れるようになった。
カメラの小型化によって一人称視点の映像がお手軽になったが、その撮影してる姿を見ると『探し物は何ですか?』と内心で思っている周りの人は多いだろう。
撮ってるであろうものが明らかな場合は疑問に感じないが、そうでなければ『何を撮ってるんだ?』と感じるだろう、その時の気持ちは『探し物は何ですか?』とほぼ同じはず。
カメラを向けてる方向に撮りたいものがあるとは限らない、当の本人だって『自分は一体何が撮りたいんだろうか?』と思ってても不思議はない。
たくさん撮った中に、後から確認したら『こんなものが撮れてた』という発見が得られるというパターンの方が多いくらいだろう。
自分探しと言うとバカにされがちだが、バカにしてる人もやめられないのが自分探しなのかもしれない、なぜなら自分探しをバカにしてる人が確固たる自分を持ってるようには見えないからだ。
自分探しをしてる人は周りの人から、『何を探しているかは分からないけど、あの人には探し物があるんだな』と見えている。