違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

佐々木麟太郎に感じた錯覚

10月23日にプロ野球のドラフト会議が行われた。

 

それから2日が経過した今日になって改めて思った話。

 

わたしはプロ野球や甲子園の高校野球は見るが大学野球や社会人野球は見ない、つまり熱心な野球ファンではないが、ルールがきちんと分かっているから俄か評論家的な視点だって持てる、所詮そのレベルの人間がわたしだ。

 

正直に言って、今年のドラフトで名前を聞いて知っていたのは唯一、佐々木麟太郎さんだけだった。

 

じゃあ、そんな佐々木麟太郎さんにどんなイメージを持ってるかというと、あのブヨブヨの身体ではプロでは通用しないだろうというイメージでしかない。

 

ではなぜそんな佐々木麟太郎さんのことを覚えているのか、自分でもそれが不思議で最近そのことを考えていた。

 

おそらく、野球に関する話題だけでなく、スタンフォード大学へ進学したことでの話題もあり、印象が強いのだろう。

 

ついでに言うと、高校時代下馬評が高いにも関わらず甲子園で活躍したわけではない、しかし世間は騒いでいたというギャップも記憶を促進したかもしれない。

 

つまり、わたしの目には期待に値する選手ではないのに評価だけが高いのでむしろ嫌いなタイプの選手として記憶に定着したのだろう。

 

逆に言うと、他のドラフト指名選手に関しては、良くも悪くもあるいは好きも嫌いも含めて印象に残ってる人がいないのでわたしの記憶が反応しなかったのだ。

 

 

もちろんわたしの脳の老化や劣化も加味されての結果のはずだが、最も興味があるのは、大して興味があるわけでもない佐々木麟太郎さんだけ記憶してるということのなぜ?、だ。

 

 

ドラフト会議後に知ったことがある。

 

心理学者のジャコビーが、「見覚え、聞き覚えといった感覚は単純だが強力な『過去性』という性質を帯びており、そのために以前の経験が鏡に映し出されてるように感じる」と説明していることを。

 

 

そんな『過去性』という性質は錯覚とされている。

 

 

よく知りもしないのに知ってるつもりになるという錯覚は、世間一般では「馴染みがある」と理解される。

 

数年前に錯覚資産なるワードが注目されたことがあった。

 

AIは次のように説明する。

 

「錯覚資産」とは、自分の都合の良い思考の錯覚や、他者から抱かれる都合の良い錯覚を指し、それがチャンスにつながり、実力を高めるための「資産」として機能する概念です。例えば、ある分野で優れた実績を出すと、その印象から他の分野でも能力があると過大評価される「ハロー効果」がその例です。錯覚資産は、好循環を生み出す可能性がある一方で、失敗した際に逆効果になることもあります。

 

 

つまり、ビジネスも錯覚を積極活用しようとしてるのだ、どうりで詐欺が増えるわけだ。

 

錯覚は所詮勘違いに過ぎないのだが、脳内で目覚めた錯覚は強力な事実として記憶と連動する。

 

馴染みがあるように感じる記憶の正体は錯覚であるかもしれない、そうだとするとよく知ってるつもりの友人や知人あるいは仕事や趣味の仲間について本当は何を知ってるのだろうかという疑問が拭えなくなる。

 

 

こんな話を思い出す。

 

あなたが友達だと思ってる人はあなたのことを友達だとは思っていない。

 

 

 

だとすると当然ながら、あなたが友達だなんて思ってない人から友達だと思われてるかもしれない、ということがあるはず。

 

 

大人になると友達がいなくなる、特に男性は、というのは自然なことに思えてくる。

 

 

錯覚から逃れることができないとするなら、人間関係を絡めない錯覚に限るように、と感じる。