最近YouTubeでおすすめに上がってくる動画に『AIはバブルだ』的な動画がやたらに増えた、ここで言うAIバブルとは投資の対象としてのものだが、一般利用者の一人としてもAIバブルを感じていた。
利用者レベルで感じるAIバブルとは、やたらに増えたAIアウトプットへのウンザリ感だ。
ウンザリさせられた最初は音楽だった、今年の春前頃にYouTubeで80年代のシティポップで初めて聞くものに出くわしたのだが、これがなかなか良かった、こんな曲があの当時あったなんて知らなかったなと思っていたら、次から次に同種の曲が多数アップされるようになってきた上にサムネ画像にも違和感を感じて調べると、AIが作るものが増えていてその場合は次のように概要欄に表示されると出てきた。

AIが作ってるなんて思ってないと良い曲なのだが、似たような曲が次から次へと出てきてしかもそれがAIによるものだと分かるとなんだか良いと感じた自分がバカに思えてきてウンザリしてしまって聞かなくなった。
それからしばらくしてショート動画などで赤ちゃんと動物が戯れてるほのぼのとした動画などの中にもAI作が増えてると知り、知ると『そりゃそうだこんな映像を撮影できるなんてその偶然の瞬間のためにどれだけ長時間スタンバイしなければいけないんだ』と思うようになり、すごいなと感じる映像はもう『どうせAIなんだろう』と、本当はそうではなかったとしても素直に受け止められないようになってしまった。
またAIが作る文章は面白くないという意見も聞くようになってきた、私自身はAIの文章に面白さを求めたことはないので、この点に関してはピンときてないが、音楽や映像に感じたのと同種の違和感が文章にも感じられたら同じことを思いそうだ。
AIに作らせると創作物には産みの苦しさなんて無く次から次に量産できるはず、そのことが、創作物としてのレベルが低いわけではなくても有り難みを感じさせなくなる。
AIのレベルが上がれば上がるほど出来上がるものは心に響かないものばかりになりそうだ。
AIによるアウトプットが、人がやりたくない領域で実用的になると真に感謝される存在になるのだろうが、やりたい人がいる領域を奪ってるうちは評価はどこかイマイチなもので終わりそう、そういう意味では今は過大評価されてるバブル状態なのだ。