世間の大衆から注目を浴びることは広告宣伝効果としては抜群。
そういう反応がバズると呼ばれてた頃は、多くの企業や組織や人がバズることを積極的に求めた。
その頃のバズるは好意的な反応を意味していたが、やがて悪意の反応も増えるようになり、悪意の反応は炎上と呼ばれるようになった。
バズりたいと望みつつ炎上を恐れる気持ちも拭えない、またバズりたいというつもりなどない発言が炎上することも起きるようになった。
今日次のような記事を見た。
宝塚歌劇を直撃したキャンセルカルチャー ソロ歌唱「海ゆかば」 SNSでの批判に迎合
キャンセルカルチャーの増加にはSNSの普及の影響も大きい。同社はSNSで話題になることで企業や自治体が対応を変えることもあり、「SNSで声を上げた方が企業に届きやすい時代になっている」と指摘した。
バズるにせよ炎上にせよ、世間の最初の反応は直感的なものから始まる、そしてそんな直感的な反応の連鎖がバズるであり炎上だ。
ここでいう直感的な反応の対義は熟慮になる。
つまり、直感の連鎖が巻き起こる現場に欠けているのは熟慮となる。
ここでいう熟慮はアンガーマネジメントに似てるが、実際にはそれよりも深い。
では、炎上したくない側には世間の大衆の直感の暴走を防ぐための熟慮は無かったのだろうか?
おそらく熟慮しようとした痕跡はあったはずだが、「そんなこと恐れてたら何もできない」なんていう直感的な空気にきっと支配されたことだろう。
突然のピンチや危機には熟慮の出番はない、そういう時は直感しかないが、揉め事やトラブルが起きる現場には、熟慮を駆逐する直感が渦巻いている。
直感のほとんどは根拠なき衝動だ。
根拠なき衝動は、純粋に自分事として発動される場合は良い意味でのエネルギーになり得るが、他人を巻き込んで連鎖が起きる場合には碌なことは無さそうだ。
他人の直感、特に知りもしない人の直感ならば尚更、熟慮を持って反応しよう、即断即決は碌なことがない。