違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

正論の皮を被った憂さ晴らし

国旗損壊罪の周辺が賑やかだ。

 

そして、その中心に祭り上げられてるのがカンニング竹山さんだというのがなんとも香ばしい。

 

個人的にはカンニング竹山さんは過激な主張をしてるわけでもなければ、誰かを攻撃したりあるいは誰かを擁護してるわけでもない。

 

だからその直接的に意味してる内容が問題だというよりも、竹山さんが矛先としてちょうど良いと感じた世間の人が多かったということだろうと感じてる。

 

 

キーワードとして浮かぶのは、「正論の皮を被った憂さ晴らし」だ。

 

 

2016年の「保育園落ちた、日本死ね」を思い出した。

 

怒りが根底にあることが可視化させた問題という共通点があるが、細部に目を向けるともちろん構造は違う。

 

問題や課題はあるかもしれないが、多くの発言はその解決に向かってなされているとは感じられない。

 

体の良い憂さ晴らしや論破合戦が展開されているようにしか見えない。

 

キーワード的に表現するなら、見えているのはノイジーマイノリティの騒ぎで、それをサイレントマジョリティが生暖かく眺めてるといういつもながらの構図。

 

もう一つ共通点があるとすれば、どちらも政治マターなのだが、匿名の一般人や芸能人の発言で炎上したという点だ。

 

「保育園落ちた、日本死ね」は後に発言主は一般人ではなさそうという話も出ていたが、その拡散は草の根活動のようなものだったと記憶している。

 

あれから約10年確かに待機児童は減ったが、この10年で出生数は大幅減。

 

国旗損壊罪はどこに向かっているのだろうか?

 

もし盛り上がりの正体が正論の皮を被った憂さ晴らしに過ぎないとすれば、向かう先はお寒い結果になるのだろう。