世の中で起きる出来事を巡る「なぜ?」に、納得できる理由を求めるのは、どうやら人間の悪い癖なのかもしれない。
「なぜ?」に理由を求めることがなぜ悪い癖なのかというと、その尤もらしい理由の多くは当たってないことがほとんどだから。
当たってるように見えるあるいは感じられるのは、たまたまそう思えそうな別の出来事とリンクしたりするからで、まあ運なのだ。
プレゼンが上手な人が聴衆を魅了したからといって、その主張が実現するわけではないのと似ている。
しかし、そのプレゼンにいったん魅了されたらそれを否定するのは難しい、なぜなら納得してしまっているからだ。
真実や正しい理由を求めてるつもりでも、惹かれてしまうのは話術や展開されるストーリーに対しての好き嫌いの反応に過ぎないのだ。
私は世の中を貫く原理原則みたいなものがあるならそれを知りたいと思い続けてきたが、今ダニエル・カーネマンの「ファスト&スロー」を読んでる途中だが、自分の考え方を修正すべきだと感じるようになってきた。
おもしろい本だが、上巻下巻とあり考え考え読んでいるのでなかなか読み進まない、ようやく上巻の80%ほどにいる状態。
世の中では、日々いろんなことが起きている。
間違いなく原理原則がありそうな自然現象ですら、それに対する人為的な説明や解釈が施されたら、好きか嫌いかの対象でしかなくなるのだ。
ましてや人間が主役で起きる出来事なら尚更だ。
今現在を起点にして未来に向かうことはすべて運に依存する、それくらいの心づもりで備えるくらいがちょうど良いと思うようになってきた。
心配事に対策することが無意味だなんて思わないが、対策としてやったことが報われるかどうかは運しだい、そのくらい達観する方がちょうど良いのだ。
こういう考え方が本当に自分の中で定着すれば、悩んでもしょうがないことは悩みではなくなりそうに感じる。