違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

負けるが勝ち

日本と中国の仲が険悪になっているのを見ていて思ったのが、日本も中国も西洋との対比で言うと東洋となり、共通共有する価値観がありそうだが、東洋という枠では説明できない異質や対立があることが険悪の理由なのだろうということ。

 

一般的には歴史的な経緯を引きずってると表現されがちだが、それも確かにあるかもしれないが、根本は違う理由ではないかと想像してみた。

 

グローバル化し多様化を受け入れることが多くなると、小さなことに拘ることは良くないと思われがちだが、逆に最後の最後に残る差異は実は小さなローカルな気持ちの持ちようのようなものなのかもしれない。

 

ChatGPTに相談しながら日本的、東洋的、西洋的の違いをあれこれコミュニケーションを取った結果ざっくり言うと、日本を含め世界は、大きな共通点で言うと自然も経済も軍事も制御コントロールしたいという方向に向かっている。

 

しかし、そういう方向性が強くなればなるほど、それに馴染まないことが不都合な真実として浮かび上がる。

 

 

制御あるいはコントロールに馴染まないことの多くは、理由や説明に関係なく『そうなっていく』『そうなってしまう』ものとして現れてくる。

 

『そうなる』が好都合な場合には、努力や頑張りで表現されることが多いし、再現性が強く求められる。

 

再現性が容易ではないことの説明として定番なのは『運』。

 

 

日本人には『そうなっていく』『そうなってしまう』ことをそのまま受け入れるという価値観がDNAレベルではあるように感じる、そういうDNAを持っている多くの人が黙って受け入れてるわけではなく抗ってることが多いとしてもだ。

 

この場合の受け入れるは、諦めるとは違う。

 

 

エントロピー増大の法則に則ると、すべては無秩序に向かう、さまざまな時間軸はあっても。

 

そんな無秩序化に抗う思いが、制御やコントロールに向かい、短い時間軸の中では実現するが長い時間軸に晒されると脆いという現実を突きつけられる。

 

 

日本人的美徳の一つが、制御やコントロールに馴染まないことを受け入れる生き方と本当は相性が良い、ということなのではないかと感じる。

 

頭で考えると、そういう生き方は敗北でしかなさそうに感じるが、どちらが幸せへの近道かと考えると、負けるが勝ちという世界観もあることに気付く。

 

負けるが勝ちという価値観は由来を遡ると中国が発祥のようだが、とても日本的に感じられる。