違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

自助に対する再認識

深い意味を感じさせるツイートだった。

 

 

 

それぞれの立場で思うことには違いがあるだろうが、これまでに目にした自助を巡る論争の多くは、好き勝手に行動して自業自得のような目に遭った人に対して向けられていた。

 

しかし、自分の責に帰さない理由で大勢が大規模に同時に困った場合に陥ったら?

 

 

救助のプロに頼れるのはよほど運の良い人だけかもしれない。

 

近くの無傷の親切な人に頼れるのも、よほど運が良い人だけかもしれない。

 

否応なく選別は行われるだろう、医療現場におけるトリアージに似てるがちょっと違う選別だ。

 

助ける余力のある人にとって、その人は助けたい相手なのかという選別だ。

 

知ってる人であっても、それまでの人間関係が良好な人じゃなければ選ばれないだろう。

 

大規模な緊急事態が起きれば、自分にとって誰が大切か、大切な人が複数いたらその中でも選別が自然と行われるだろう残酷だが、あかの他人に助けたいという意識が向かわないのは当然なのだ。

 

そういう事態になれば、一見余力がありそうに見える人だって自分一人のことで精一杯に違いない。

 

 

これらを踏まえると、自由を求めるのと同じレベルで自助も、平穏な日常だからこそ意識しておかなければ、緊急時に陥っても自助モードは起動しないだろう。

 

自助のために何が必要か?

 

少々の知恵とコミュニケーション能力と体力だろう。

 

特に体力は筋力が強いよりも持久力が高いことの方が大事だろう。

 

 

ずっと昔の高校時代ほんの一時期、少林寺拳法を学んだことがある。

 

道場での稽古の始まりか終わりか忘れたがみんなで唱和する言葉があった。

 

その中の一つに『己こそ己の寄るべ』というのがあったことを思い出した。

 

自分こそが最も頼りになる存在である、自分以外に誰を頼るのか、しっかり鍛え整えられた自分こそが、真に得難い拠り所となる、という意味。

 

現代社会の中枢には相互扶助とか保険とか、困った時に支え合うシステムが形式的に深く浸透してるが、これらが機能する大前提こそが自助なのは言うまでもない。

 

 

これからの混沌とした未来を生きるためにこそ自助の意識は大事なはずだ、と再認識させられた。