車で移動してる時にレンタル倉庫の広告看板が目に入った。
そこにはこんなことが書いてあった、正確ではないかもしれないが。
断捨離はしたくないけど部屋の片付けをしたいなら
と。
Twitterで「断捨離」「レンタル倉庫」と検索すると、レンタル倉庫に預けてるものを断捨離したらワンサイズ小さなレンタル倉庫に変更できて費用を断捨離できる、というつぶやきがあった。
断捨離にも色々あるなと思ったが、上記の断捨離では対象になるのは物理的なモノだ。
つぶやきの中には、大量に保存してるレコード盤を持ってる人の「結局聞かないんだけど捨てられない」というようなものもあった。
最近、「どうせPCを近々買い直す必要があるなら今すぐ買う方が良い」という話をよく聞いたり目にしたりする。
大規模なAI関連の投資が行われていて、CPUやメモリやHDD(SSD)のそこそこスペック以上のものはPCメーカーでも調達できないか価格の高騰に晒されるからというのがその理由だ。
これを聞いて思ったのが、断捨離の対象にはデータもあるなということ。
断捨離の対象が物理的なモノならばその寸法やサイズが重要だが、それがデータとなると、HDD(SSD)の大容量化と安価化が進んだ結果物理空間を圧迫する度合いは減少してる、個人や小企業レベルでは。
代わりに、その大量のデータは簡単に正確に検索可能なタグ付けなどがされてなければどこにあるのか探すだけでも大変な作業になる。
好きで残してる写真や動画だって同様だ、それらを見返すことを考えると断捨離の対象は果たしてデータなのかそれとも時間なのかになるなと感じる。
忙しくて時間が足りないと言う人ほど、時間を有効活用できてないということは多い。
あれもこれも大事だと言う人ほどゴミを溜めこむ、ゴミ屋敷の住人がまさにそれだ。
評価や値段が高いか低いかは別にしてモノもデータも資産として取り扱い可能だ。
自分が持ってるものを資産だと思い込むと、勝手に価値の過大評価が始まる、これが断捨離を妨げる。
わたしの中での断捨離が上手く行くイメージは、暖かさや暑さを感じるたびに服が軽装になるようなもの。
この感覚が身につくと、寒さを感じるようになっても軽さや軽快感が失われないようにという方向にしか向かわない、と思いたい。
ちなみにWikipediaによると断捨離の三文字には次のような意味が与えられていた。
断:新たに手に入りそうな不要なものを断る
捨:家にずっとある不要な物を捨てる。
離:物への執着から離れる。
人の数だけ禅問答が生まれそう。