違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

本音は隠せない

こんなツイートが流れてきた。

 

 

 

なるほどね、これが本音だとすると、世の中にはさまざまな美辞麗句が本音をロンダリングしていることだろうと容易に想像できる。

 

面接等で語られる志望動機で本音を語ってる人なんてほぼいないはず、みんなとっくに気付いていたかもしれないが、それでも『やりがいを求めて』的な気持ちもまたどこかで本音として存在してると少しは思っていたが、多分それは昭和な20世紀の感覚になってしまったのだ。

 

なぜなら、厳然とした事実として現実社会は少ないパイの奪い合いをしてるからだ。

 

パイを得たければ、誰かが手にする前に奪い取らなければいけない、そういう現実に絶えず直面してるのが大多数なのだ。

 

大前提として、大多数の人は犯罪者にはなりたくない、犯罪者として世間に晒されたくはない、と思っているはず。

 

しかし、グレーゾーンには手を伸ばす。

 

だから誰もが嘘を吐くし、誰かを騙そうとする。

 

騙される方が悪いんだと理論武装して免罪符を得たつもりになって。

 

 

ところで、日本人は本音を人前で出すことをしないことが多い、そういう処世術を身に付けてる人が多い、結果として自分の本音に自分が気付かず生きてるというケースも少なくない、逆に言うと露骨な奪い合いを経験することが少なかったからとも言えるだろう。

 

そういう人が、自分は奪われてると気付いた瞬間に何を感じるだろうか?

 

別に犯罪被害を受けたというわけではなく、誰にも平等な社会システムの変化によって。

 

そういう場合、どこに攻撃の矛先が向かうだろうか?

 

 

自分より強いものに向かう人は立派だ、しかし大多数は自分より弱い者に向かうはず、そうしないと奪い返せないからだ。

 

 

冒頭のツイートに寄せられてるリプライの中に、コストコの時給に戦々恐々としてる院長連中は自分の年収3000万円には疑問を持たずしかも看護師の時給をせめてコストコ並みに上げようとは思わない、というものがあった。

 

 

本音が行動に現れることは避けられない時代になったのだ。