来たる2月8日の衆議院選挙はいつもと少し違う気がする。
不思議な表現になるが、私の目にはどの政党もどの候補者も皆同じに見えるからだ、という点においてこれまでと違って見えるのだ。
論点ずらしや争点潰しが目的なのか、皆が同じようなことを主張してるように見える。
主張してることが似てると感じると、よほど深く掘り下げて主張を精査できなければ違いはよく分からない。
選挙演説レベルで飛び交う情報をいくら聞いていても、精査のレベルには届かない。
そうなると、判断は情緒的にならざるを得なくなる。
つまり好きか嫌いか的な判断になる。
本当は好き嫌いや何となくで判断していても、会話やコミュニケーションの中では理屈っぽいことを多くの人が語るだろう、考えてるフリをしながら。
情緒的な判断が強くなる場合、誰もが他人に対しては認めないかもしれないが、判断基準はポピュリズムやルッキズムが強くなることは避けられない。
主張する内容よりも、顔や表情や口調やファッションの方がはるかに雄弁になり、その結果好き嫌いの印象が強固になるはず。
自覚的であろうと無自覚的であろうと、好き嫌いで意見が自分の中に出来上がると、好きな人(政党)を受からせたい、あるいは嫌いな人(政党)を落としたいという気持ちは強くなる。
正しいことを判断するという気持ちよりもはるかに強い気持ちになるはず。
この見立てが正しければ投票率は上がるはず。
下馬評では圧倒的な支持を誇るあの人は本当に支持されているのか?
私にはどうにも理解できないこの現象の行方がどうなるのかはもはやエンタメである。
こんな気持ちになる選挙は初めてかもしれない。