きっと世の中が混沌としてるからだろう。
自分が未来を切り開くよりも、未来を切り開いてくれそうなものに依存したくなるのだろう。
未来を切り開いてくれそうとは、マウント合戦に勝ちたい、優越感に浸りたい、自己肯定感が欲しい、などといったレベルの欲求も含まれる、いやただ含まれるというよりもそのレベルが大半なのかもしれない。
もともとどんな時代であっても未来はよく分からないものだが、自然現象も地球環境も従来とは違ってきて、人間社会の秩序も大きく変化してると感じると、信じられるものが少なくなる、その連鎖が混沌に拍車をかける。
そうなると、正論はあまり意味を持たなくなる、結局誰も未来なんて分かってないのだから。
それでも大衆の心理は意外と簡単に読める。
大衆は自分で自分の未来を切り開こうなんて思ってない。
誰に依存し寄生するのが得かばかりを考える。
漠然と、強いものに、強そうに見えるものに、くっ付いていたくなるのは自然なことなのだ。
だからと言って、かつては存在していた村社会の忠誠心や秩序のようなものはもはや無い。
そんな忠誠心も秩序も無い集団がどんなに膨れ上がっても所詮砂上の楼閣なので、強いものの地位すら安泰とは限らない。
弱い結びつきで構成された集団の構成員は、頃合いを見計らって、次に依存できそうなものを見つけて依存サーフィンを繰り返すだけだ。
そういう目で世間や世の中を眺めるとしっくり来る、ということはその考えが当たらずとも遠からずだからだろう。
そんな混沌の時代では、真の忠誠心が向かうべきは自分自身しかない。
これは自分さえ良ければ良いという考えと似ているが違う、また、一時期よく使われた突き放すような意味での自己責任とも違うが、重なる部分はある。
混沌の時代で信じられるのは自分自身だけだが、その解釈は多様なはず。
誰もが自分自身を信じるように勝ち馬を探している。