違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

自分の脳の癖

Twitterで立川談志さんが49歳の時に言ったとされる言葉が流れてきた。

 

 

よく覚えとけ。現実は正解なんだ。 時代が悪いの、世の中がおかしいと言ったところで仕方ない。 現実は事実だ。 そして現状を理解・分析してみろ。… 現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ… その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と言う。

 

 

 

この言葉にインスパイアされた。

 

『現実は正解だ』、これを受け入れられないとストレスになるはず。

 

最近だと高市自民党の圧勝のような現実。

 

 

人は誰でもストレスを大なり小なり抱えているだろう。

 

何がストレスになっているかは何となくでも理解してるだろうが、なぜそれをストレスに感じているのか、またそのストレスをどうやったら解消できるかとなると、自分のことであっても何も名案が浮かばないことは珍しくないはず。

 

例えば健康に関して、健康と言ってももっと広義に身体に関することと拡大解釈しても良い。

 

すでに具体的で厄介な症状があり、生活に差し障りがあるというようなレベルのことではなく、気にしなければ気にならないかもしれないようなレベルの話。

 

つまり、何となく感じてることであったり、漠然と感じてることであったり、他人と比較しても全く意味がないようなレベルのストレスに関する話。

 

 

そういう場合のストレスとは、不満や不安や心配が原因だろう。

 

同じことを不満にも不安にも心配にも感じない人だっているだろうから、他人から真に共感を得られないかもしれないし、それ以前に誰にも打ち明けたりする気になれないかもしれない。

 

その程度のストレスが実は本人にとっては大きなストレスになるような気がする。

 

 

そのように考えると、その種の他人目線では小さな、しかし自分にとっては大きなストレスとは共有されづらい極めて個人的な個性あふれるストレスだと言えるだろう。

 

同じようなことをストレスに感じてる人は世界に自分一人かもしれない、とすら思うだろう。

 

なぜそうなるのか、自分の思考や持ってる価値観など、これまでの経験や学習の結果であり、それらを情報として情報処理する自分自身の脳に全て由来するのではないか、そんな気がしてきた。

 

性格とかキャラクターと呼ばれるものは、自分の脳の癖みたいなものかもしれないかと思い当たる。

 

 

脳科学なんて分野が脚光を浴びるわけだ。

 

自分の脳の癖を理解できれば、脳を手なづけられる、そういう考えはアリなはず。

 

これまでは、脳に操られた結果の自分の思考や価値観だったかもしれないが、これからは、自分の思考や価値観で脳を操ることができるかもしれない。

 

何が違うか?

 

脳に操られるとストレスにしかならないことが、脳を手なづけるとストレスではなくなる可能性が高いからだ。

 

まあ、ストレスだったことが快感に感じられるようになると別の弊害が出るかもしれないが。

 

自分の性格や持って生まれた性質のせいだと思い込んでることが、単なる脳の癖だとするなら変えられないわけではない。

 

そういうつもりで自分の脳の癖に気づくのは悪いことではなさそう。