違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

どこに向かっているのか

言われてみればなるほどと思うことの多くは、はっきり指摘されないと意外と分からない、そんなことを感じさせる記事だった。

 

「一社専従はもう限界です」 自動車ケイレツの終焉か? 地銀8行が踏み切った“やむなき自己防衛”、559万人雇用を背負う産業再編とは

 

戦後の日本の自動車産業は、完成車メーカーを頂点とし、一次、二次、三次と連なるピラミッド型のケイレツ構造を構成した。この仕組みは、安定した発注と技術の共有、そして長期的な信頼関係によって機能してきた。

 

 

今回の広域連携は、銀行が自らの収益源を確保し続けるための厳しい自己防衛策である。

 

 

本来、技術の塊である自動車や家電という分野は、要が優秀な人の技術に依存して成立していた時代には、そのことが大きな参入障壁になるので一定の社歴を築ければ強さに繋がっていた。

 

しかし、人に依存していた技術やデザインが機械化され自動化され、さらにソフトウェアで統合されるようになると、技術関連の大半はコピペの対象となり差別化は難しくなる。

 

つまり、系列(ケイレツ)という縦型の構造で守り維持された独自のノウハウですらオープン同然でコピペの対象になってしまったのだ。

 

その結果、フットワーク良く機能するはずだった系列関係は、動きを悪くする足かせのようにすらなったのだ。

 

誰かが悪くてそうなったというよりも、古い成功体験にしがみついたからそうなったのだが、それは時代がそういう方向にシフトしただけとも言える。

 

 

こんな構造を表現してるかのようなことばに、親亀転けたら小亀も転ぶがある、由来は明治時代の流行歌らしい。

 

類似した表現としては以下のようなものもある。

 

      • 親が親なら子も子
      • 親の背を見て子は育つ
      • 一蓮托生

 

ちなみに、一蓮托生を英語で表現すると、

 

We're in the same boat

 

 

となるようで、とてもわかりやすい。

 

 

同じ船に乗ってるのだから、船が遭遇する困難の影響は、乗ってる人すべてに及ぶのは当然だ。

 

 

突然のアメリカ・イスラエルによるイランへの攻撃で、石油の供給が一気に不安材料になった。

 

水不足が懸念される日本で石油不足も懸念事項になったのだが、これって日本という船に乗ってる日本人という意味では一蓮托生となるのだろうか?

 

小松左京が描いた『日本沈没』は地殻変動で国土としての日本が海中に没するという話で、これだとまさに一蓮托生だが、国土に不安が無ければ贅沢や便利を過度に享受してなければせいぜい不満を感じるくらいで収まるような気がしないでもない。

 

国土の不安という意味では、南海トラフ地震等の大地震の方が不安の度合いは大きい。

 

 

ところで、一蓮托生は仏教用語で死後も運命を共にするという意味、そういう意味では上記で紹介した英訳では不十分。

 

しかし、実際に一蓮托生という表現が使われる場では、『上位の立場が弱い立場に特攻隊精神を押し付ける』という意味で使われてるように感じる。

 

 

系列(ケイレツ)とか一蓮托生は由来はともかく、系列上位はコストや納期で無理を押し付ける代わりに、系列下位は自らの営業コストを負担しない、というこれまで成り立たせていた双方向依存が持続不可能になってきたのだ。

 

 

最近では弱まったが、日本には縁故やコネが昔から蔓延っている、これらも広義の系列と言えそうな気すらする。

 

 

 

系列(ケイレツ)とは製造業界隈の話として受け取りがちだがそこに縁故やコネが加わると、新聞テレビ雑誌など各種の情報メディアやそれを取り巻く広告宣伝界隈にありがちな話になっていくし、さらに言うと、系列や縁故やコネの究極は世襲及び世襲的な界隈で政治や伝統芸能まで拡大する、如何にもThe Japan的。

 

そんなThe Japan的な存在を象徴するのが、系列であり縁故やコネや世襲で、つまるところは依存の世界。

 

 

日本通のカレル・ヴァン・ウォルフレンが『人間を幸せにしない日本というシステム』を書いたのは1994年。

 

 

それから30年以上経ち、そんな強固な日本というシステムも壊れる部分は増えてるように感じるが、日本がはどこに向かっているのかは分からない?