実は大きな変化が起きているのに、その変化は無意識のうちに起きていたりする。
また、そんな変化に対して無自覚だったりする。
16年前の日常動画見て確信したけど、やっぱり世界を不可逆に変えたものってスマホの普及だったなと痛感するね。2010年の当時、すでにネットとSNSはあったけど、スマホはまだ普及率1桁パーセントだったんだよな。 pic.twitter.com/IL4zt1Yie3
— ポンデべッキオ (@pondebekkio) 2026年4月30日
この動画を見て思うのは、歩く人が前を見て歩いているなという当たり前のこと、当時だってガラケーは全盛だったし、それなりにマナーの問題などは多かったことを覚えているが、拍子抜けするくらいマナーが良かったと感じられる。
iPhoneが登場してすぐに使い始めた知人が「すごく良い」と言ってるのを聞いて、疑り深い私は中古のipodtouchを買った、iPhoneから電話の機能を取り去ったものとして。
すぐに良さを実感できた、ディスプレイサイズは大型のガラケーより少し大きいくらいで、ディスプレイサイズの違いが印象の違いではなく、アプリの見やすさ使いやすさがディスプレイサイズに最適化されてることによる印象の違いであることは明らかだった、だから写真や動画を比較すると大して違わないし、ハイスペックのガラケーの方が良いくらいだった。
上記のツイートに書かれてる不可逆とはディスプレイとの関わり方で、誰でもモバイル環境でディスプレイに視覚を奪われるお膳立てが整ったのだ、しかも通信との融合でディスプレイはコミュニケーションの場にもなったことで視覚だけでなく心もディスプレイに奪われるようになった。
心をディスプレイに奪われるにはポジティブな場合もあるが、むしろネガティブな影響の方が多そうに感じる。
そんなディスプレイはさらにARやVRなどと拡張や拡大に向けて一時期賑やかだったが、この動きは躓いたように感じられる。
一方で、一緒に行動する連れがいても、ディスプレイ越しのコミュニケーションを優先することはますます当たり前になっている。
そういう意味では人類は当分の間、従来型のディスプレイに束縛されるというのが不可逆な流れの中心を占めるのかもしれない。
あちこちに目を向けると、現代には不思議な不可逆が多数進行中に思えてくる。