違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

金で買えないもの

目が覚めて寝転びながら見たツイートの一つ。

 

 

 

添付のnoteは寝起きで読むには長過ぎたので、最初の方を読んだ後で末尾に飛んだ。

 

末尾は次のように締められていた。

 

 

経済成長は人類史的に見れば僥倖ではなく、病であったのかもしれない。

 

 

 

 

金で買えないものとは、ものすごく高価なようで実はタダというものに思える、ただしそのもの自体はタダかもしれないが場合によっては近づくためには結構なコストが発生するかもしれない。

 

昔は、水と空気はタダなんて言っていたが、当時だって水は飲用基準を満たすならばタダではなかった、一方で空気はタダの場合がほとんどだが最近では空気も種類を選ぶ場合コストが掛かるようになってきた。

 

金で買えないものを考える場合、金でしか買えないものを考える方が手っ取り早い。

 

そうすると、金でしか買えないものは、シンプルに人が関わるもので関わった人が対価を求めるような場合だ。

 

このような場合には例外もある、関わってる本人は決して対価を求めてないが、周りの人がその人への感謝の思いや今後も活動を継続してほしいことを表現するためにお金を払うというような場合で、なんとなくでもその相場が出来上がってるような場合。

 

 

 

そんなことをつらつら思いながら、寝起きのような頭があまり回らないタイミングだと意外とシンプルな本質に気付くような気がしたのは、金で買えないものとして花鳥風月というワードが浮かんだ時だった。

 

人が関わりかつ所有が絡むような場合には花鳥風月と言えども金で買うは避けられないかもしれないが、花鳥風月を愛でると捉えれば金では買えないものになる。

 

そもそも愛でる気持ちが無ければ成立しないし、愛でる気持ちはタダだから、しかし、愛でる気持ちは持てない人には持てないはず、たとえどんなにお金を掛けようと。

 

日本で花鳥風月が趣味や粋のものとして認識されたのは室町時代(1336~1573年)かららしい、侘び寂びも生まれたのはこの時代。

 

金で買えないものとして愛と答えると、なんとも嘘くさいのが現代だが、人間がどう関わろうと、その関わりに関係なく存在するものに対して興味や関心を持てる場合、それらはすべてタダだ。

 

さらに言うと、自分自身も自然の産物だと言う意味で、純粋に自分の事で他人は一切関係しないようなことに興味や関心が向かうならばそれは金で買えないものになる、少々の例外としては必要な道具や環境を整えるためにはコストが掛かるかもしれないが。

 

 

今年のGWは原油問題の発生で、お金を掛けないで楽しむためには、ということと真剣に向かい合う人が増えたのではないだろうか。