違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

無理を通そうとした結果

今年の3月から不思議な事件や事故が相次いでいる。

 

事件や事故には、被害者や加害者以外にも当事者が存在する場合がある。

 

そんな被害者や加害者や当事者などを全部まとめて関係者とすると、関係者以外の世間は関係者の誰に注目するか、あるいは関係者の誰に感情移入するかで、事件や事故の見え方が変わってくるはず。

 

3月に発生した京都の小学生行方不明事件はやがて義理の父親による殺人だったと分かったが、いまだに謎は多く、亡くなった小学生の母親に関しては何も伝わってこない。

 

この事件の後で起きた北海道の旭山動物園を舞台にした遺体焼却事件も謎に満ちている。

 

 

そしてさらに、5月6日に高速道路で起きた高校の部活のバスが起こした事故も謎と不思議に満ちている。

 

バスに乗っていた高校生は純粋に被害者で、最も悪いのはバスの運転手なのだが、それ以外の関係者や当事者のすべてが真実を語らず自分の責任や罪を軽くするかのような振る舞いをしてるようで謎に満ちている。

 

バスの運転手に関する情報が伝わるたびに、事故は起きるべくして起きたとも感じるが、学校やバス会社などの関係者や当事者のどこにもリスク回避を考えた痕跡がなく、当事者や関係者のすべてがコストの奴隷として行動してたとしか見えない。

 

絶対に選択してはいけない選択が行われたのは、当事者や関係者のコスト意識とそんなコスト意識で繋がった人間関係のせいでだ。

 

コストに囚われることこそがリスクだと思い知らされる。

 

 

 

無理が通れば道理が引っ込む、先人は分かっていたのだ。

 

 

不思議な事件や事故の背後には、目に見えるとは限らないが、無理が通れば道理が引っ込む、が起きているはず。

 

 

当事者や関係者でないなら、起きた事件や事故はどうでも良い、ここまで分かっているなら、個人レベルでは無理は通さない、それが大事になるし、無理を要求する環境や人間関係とは縁を切る、そんな強さと柔軟さは必要不可欠だろう。