夢中になったり、のめり込んだり、そんな状態が過度になる場合には、必ず見え隠れするのが『キリがない』。
『キリがない』のキリは切りで、切れ目がない、際限がない、終わりがない、そんな状態を示している。
肯定的にも否定的にも作用する。
肯定的に作用する場合には、自己追求的であくまでも自分のためにやってる。
最初は自分のためであっても、そこに競争意識的なものが芽生えると、他人との比較が入り込んでくる。
ここで言う他人とは人とは限らない、夢中になっているとなんとなく現れてくる目の上のたんこぶのような、邪魔に感じたり不快に感じるもの全般だ。
競争意識が切磋琢磨ならばまだ肯定的に捉えられるが、その辺から最初にあったはずのテーマのようなものは薄らぎ、勝った負けたや上か下か、時にはどちらが正しいかあるいは的確か、のような意識の方が濃くなっていく。
『キリがない』というキーワードでブログを書いたのは一度や二度ではない、折りに触れて書きたくなるということは、自分の琴線に触れるからだろう。
キリがないと思い始めるのは、自分が他人や世間の基準に迎合しようとしてる時だと、気付く時のように感じる。
マイペースで自分流を貫きたいのに、それが出来ずにいるような場合に感じる場合もあれば、世間を騒がせる話題に遭遇したような場合の自分の反応や感情の推移に対して感じる場合もある。
そんな『キリがない』に暑さ寒さが加わるようになった、近年は暑さだ。
地球温暖化と呼ぶと、人間のせいではないと思いがちだが、もちろん地球活動や太陽活動の変動の影響も含まれるだろうが、人間活動に由来する要素の方がバカにならない。
そんな人間活動に由来するものといえば、便利や快適のキリがない追求だろう。
キリがないものや事には、何事もそもそもの始まりがあるが、キリがないと思う頃には、そもそもの始まりなんて当事者の誰もが憶えてさえいない。
原油不足は燃料もさることながら、馴染みの無かったナフサ不足になり、便利や快適の多くがナフサ由来の素材に依存していたことを露呈している。
有って当たり前で特別感謝するわけでもなかったモノが、キリがない程ナフサに由来していたと知って世間があたふたしている。
多くの人に共通してそうなキリのなさもあれば、自分だけのキリのなさもあるはず。
現代人は、人それぞれに自分なりの『キリがない』を持っていたり感じたりしてるはずだ、と思う今日この頃。