違う見方

新しい時代の始まり。複数の視点を持つことで、情報過多でややこしい現代をシンプルに捉えるための備忘録的ブログ。考え方は常に変化します。

情報のプラットフォームはディスプレイ

次の記事に触発されて思った話。

 

スマホ保有世帯、初のテレビ超え 総務省調査

スマートフォンを保有する世帯の割合は91.8%(前年は90.5%)に増えた一方、テレビは90.1%(同91.5%)に減り、テレビが統計に加わった19年以来初めてスマホがテレビを上回った。

 

 

ITが急速に世の中の中心になった21世紀では、勝ち組企業はプラットフォーム事業者だと言われるようになった、GAFAMに代表される企業だ。

 

その前の時代で脚光を浴びていた自動車や家電のメーカーですら、今ではプラットフォームの上で踊るだけにしか見えない。

 

現代のプラットフォームとは一言で言うと何になるか、それはディスプレイだ。

 

勘違いをしてはいけないのは、ディスプレイを造っているメーカーは踊ってる側に過ぎない。

 

現代の勝ち組事業者は何をやってるかというと、最初はディスプレイに関する同種企業間の覇権争いだった。

 

やがて覇権争いに勝ち抜けた企業がGAFAMと呼ばれる固定メンバーになった。

 

そして次の段階に移行した、異業種間のディスプレイ上の陣取り合戦で、GAFAMに加えてNetflixのようなコンテンツ事業者が参入してきた。

 

冒頭で紹介した記事は、従来のコンテンツ事業者の代表だったテレビ事業者は誰もがすでに知ってるように踊る側だと改めて教えてくれているのだ。

 

現代では情報のプラットフォームがディスプレイなのだ。

 

ディスプレイ上の覇権争いが一段落した現在では、同種の覇権争いに勝ち抜けた事業者が新規参入大手も含めて異業種間のディスプレイ上の陣取り合戦を始めている。

 

大半の争いは大手事業者間で展開されてるが、一般大衆という名もなき個人もこの同じ土俵で勝負してるのだ、勝負なんてしてるつもりはなくても。

 

 

ChatGPTに質問した、情報のプラットフォームとしてのディスプレイの歴史に関して。

 

回答はさすがだと思った。

 

紙がディスプレイとして機能したというのはなんとなく予想の範囲だったが、それ以前には石がディスプレイだったと教えてくれた。

 

石の部分は、すでに存在している自然界の何かと置き換え可能だが、その場合はプラットフォームとしてのディスプレイよりも、ディスプレイに情報を刻む道具や知恵や工夫の方が主役だったのかもしれない。

 

そう言えば、ディスプレイとは言えないかもしれないが、情報伝達として狼煙をあげるなんていうのもあったなと思い出す。

 

 

現代のディスプレイはディスプレイ単体で機能してるわけではない、通信とCPUの融合によってだ。

 

情報は、ディスプレイを介することで瞬時の加工を施して再発信が可能になった。

 

当初は、加工の主役はあくまでも人間だったが、今ではAIがその領域に侵入している。

 

ディスプレイが情報のプラットフォームということを別の表現を用いると、情報は視覚から入ってくる、となる。

 

しかし、情報が危機管理に関するものでしかも緊急性が高ければ、視覚にアピールするよりも音や振動の方が有効だ。

 

 

ディスプレはどこに向かうのだろうか、それとも全く違う何かが登場してくるのだろうか?