2024年の日経新聞の記事。
「JTC」という言葉をよく目にするようになりました。ジャパニーズ・トラディショナル・カンパニー(伝統的な日本企業)の頭文字で、上意下達の企業文化や硬直的な組織運営を皮肉る際に使われます。
JTCなんて知らなかったが、2014年を最後にサッカーのワールドカップの日本企業スポンサーはゼロだと知って調べてる中で出てきたのがJTCだった。
以下の図はTwitterから拾ったもの。

日本企業がスポンサーから撤退した時期というのは、主催者である国際サッカー連盟(FIFA)が贈収賄疑惑を盛んに取り沙汰されていた、そのことが撤退を支える理由となったとChatGPTが教えてくれた。
会社の業績や広告効果を考えると費用対効果はもはや低いが、止めるためには別の正当な理由を模索していたタイミングで、怪しげなFIFAとおさらばするという大義名分を見つけた、ということのようだ。
この、他人の顔色を伺うという行動こそ、がJTCの本質なのだ。
徒党を組んだり、村八分にしたり、名誉は欲しがるけど本質はセコいだけ、いかにも古き悪き日本そのもの。
と、見えるが、プロ野球やMLBと比較すると、違いも感じる。
スポンサー料がそもそも違い過ぎるという問題はさて置いて、スポンサーになるに相応しい企業のトップや決裁権を持った人から見て今だったら野球には頂点に大谷翔平がいる、それだけで応援する価値を感じられるかもしれないが、サッカーの頂点には誰がいるだろうか?
たぶん、日本人や日本企業にとって三浦和良が選手として中心にいた頃には、応援するための物語を描きやすかったかもしれないが、近年は平均点はずいぶん高くなったが物語には不十分な役者しか揃ってないと見えるだけかもしれない。
つまり、にわかファンがほとんどの数年に一度のビッグイベントでは象徴的な推しになり得る個人の存在が不可欠なのだ。
今日のブログはJTC的なものをバカにしようと思って書き始めたのだが、野球との比較で物語性という大義名分の有無が大きいと気付くと、そりゃあスポンサーにはならないよなとしか思えなくなった。
コスパという概念はさて置き、サッカーワールドカップのスポンサーに日本企業がなることのメリットって何がある?
逆に言うと、大谷翔平が引退後のWBCって魅力あるのだろうか?
そういえば、今年のWBCはその前の大会ほど盛り上がらなかったのは優勝できなかったことやNetflixのせいで地上波放送が無かっただけではなく、そもそも物語として出来が良くなかったのだ。
いや、2023年のWBCが一期一会だったのだ。
そう考えると、今年のワールドカップで日本が優勝したとしても、次のワールドカップでも日本企業はスポンサーにはならないよなと思えてくる。